ニャーすけ

ハッピーエンドが書けるまでのニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

2.5

このレビューはネタバレを含みます

途中まではものすごい傑作なんじゃないかと思いきや、蛇足が多すぎてせっかくのポテンシャルを台無しにしためちゃくちゃもったいない作品。

まず、実はあの父親が先に浮気をしていたという真相が本当に要らない。これだと娘と母親との和解が、ただ単に誤解に気づいたというだけで、真の意味での「赦し」にはなっていないのでは。その直前に、せっかく娘がボーイフレンドの母親の死に直面するという展開を入れているのに、安易などんでん返しのせいで、それが娘の心理に影響を与えているように見えなくなってしまっている。

また、スティーヴン・キングの「あれ」にも当然失笑。一応、本作は文学をテーマにしたアメリカ映画なので、現代最高のアメリカ文学者をネタ的に登場させるのはまぁわからなくもないが、あの展開はいくらなんでも楽観的すぎる。そもそも、あの弟が恋愛で負った傷を、どのように自分の表現活動に昇華したのかということは一切描かれないので、急にスゴイ人から「最高の作品だ!」とか言われても、観客としては他人事にしか思えない。ていうか本作は、表現者がいかに創作を通して人生の苦しみと向き合うのか、もしくは向き合わないのかということを描いた物語だと認識していたのだが、それなら別にその表現が大御所のお墨付きを得る必要はまったく無いはず。どうしようもなく辛く苦しくて張り裂けそうな心をなんとか繋ぎ止めるための「救い」としての創作を観たかったのだけど、これは自分が表現者というものを理想化しすぎているのか。

そして、あの本当にしょうもないオチ。いやお前戻って来んのかよ……。いや、彼女が悪いとかそういうことではなく、離婚したとはいえ子供たちのことで元夫と心を通わせる描写があり、それが非常に美しい真の意味で愛のある風景だったので、最後には結局元サヤとかマジでげんなりさせられる。たとえ夫婦としてはすでに終わっていて、もはやセックスすら介在しない関係性だったとしても、人間は互いを想い合えるって描き方のほうが、ずっと深みも味わいもあったと思うんだけどなぁ。
あと、これは邦題を付けた配給会社の責任かもしれないが、本作のタイトル的に、本当にハッピーエンドにしちゃダメだろ! さっきのキングの一件もそうだが、やっぱり「表現」という行為を描きたいのであれば、全然ハッピーでもなんでもない人生の痛みが、どういう苦しみを経て皆がハッピーになるための創作物に「翻訳」されるのかという過程を描くべきだし、映画の端々にその努力は垣間見えるのにどうしてこうなった。試写でバカのお偉いさんに無理くり大団円にするよう命令されたのか?

ここまでボロクソ言っといてなんだが、それでもこの作品を駄作と切り捨てがたいのは、俳優の芝居とそのアンサンブルに関してはとても魅力に溢れていたから。
一番おかしかったのは、グレッグ・キニア扮するダメ親父のセフレの女性。ジョギングの休憩感覚でキニア宅に寄り、さくっと事を済ませたら、水をがぶ飲みして颯爽と去っていくその余りのスポーティさに(アメリカ人にとってセックスは本当にスポーツなんだ……)と爆笑。興味を持って調べたら、演じるクリステン・ベルさんはなんと『アナ雪』のアナ! という衝撃の事実が判明、その追い討ちで腹筋ねじ切れた。
やばいアナは置いといて、真面目に出色だったのはローガン・ラーマン。ぶっちゃけどの映画で見てもおどおどした童貞みたいなイメージだったけど、本作では女慣れした好青年を好演。失礼ながら、まさかローガン・ラーマンを見てかっこいいと思う日が来るなんて夢にも思わなかったよ。
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