OASIS

ラブ&マーシー 終わらないメロディーのOASISのレビュー・感想・評価

3.7
1960年代に絶大な人気を誇った「ザ・ビーチ・ボーイズ」の中心メンバーとして数々の名曲を生み出したブライアン・ウィルソンの半生を描いた映画。

ポール・ダノが若き日のブライアンを、そしてジョン・キューザックが20年後のブライアンを演じた作品。
ポール・ダノのぽっちゃり具合が過去最高レベルで、パンパンに張った顔やたるんだ頬肉、でっぷりとしたお腹が見るも無残な姿になっているものの、本人と見比べても再現率は驚くほど高し。
逆に、ジョン・キューザックは本人に似ているかと言われれば否だが、ポール・ダノの20年後の姿としては相応な佇まいで、どちらも精神的に病んで行く演技に定評があるだけに見事なキャスティングと言える。
「素敵じゃないか」で締めくくられるだけで何とも素敵な映画に見えるし、原題の「LOVE&MERCY(=愛と慈悲)」の通り、愛と救いを求め続けるブライアンの物語として孤独と戦い続ける日々を乗り越え、最後には彼同様に暗闇とノイズに覆われた世界から救われた気分にさせてくれる。

映画は、新作アルバムの制作過程でプレッシャーに耐えられずアルコールとドラッグに溺れて行く60年代の過去と、引きこもり生活を送りつつも車販売員の女性メリンダとの出会いを通して再び希望を取り戻して行く20年後の80年代の姿が交互に描かれて行く。
60年代では、父親に厳しく育てられながらもブライアンが非凡な才能を見せて多くの曲を作り出して行く姿、そして80年代では人気が低迷したブライアンがこれまた厳しい精神科医によって管理&監視されながら生活する姿が描かれる。
どちらの時代のブライアンも、自由に見えつつもその実は何者かの管理下に置かれ、閉塞した空間に縛られている。
およそ自由とは思えない暮らしの中で、どんどん頭の中に溢れて来るメロディは止められず、それをいざ外に向かってぶち撒けてもメンバーからは「ただのドラッグ・ソングじゃねーか!」と罵られてしまったり。
湧き出る音の泉を堰き止める事が出来ないという喜ばしくも悩ましい正に天賦の才と表現する事の困難さにぶつかる「産みの苦しみ」がストーリー・演出面において共に丁寧に描かれており、その苦悩の一端が伝わって来た。

そもそも音楽や映画など創作物には何かしらの規制や制約がつきものである。
著作権、使用料、年齢制限、宗教&宗派が絡む有害指定図書や閲覧禁止云々...。
そんな数々設けられた制限の中でいかにして精一杯自由という物を描くかが表現者にとっての命題と言っても過言では無いほどではないだろうか。
自由を求めて、そして束縛された現状に抗いたい想いから作られた名曲は数知れず。
ブライアンが真に情熱を傾けているであろう作曲シーンでは少しドキュメンタリーチックな演出が行われていたりと、表現者として、そして各メンバーを纏める総合演出家としての才能を感じさせる人物として魅力的に映っていた。
珍しい楽器や動物の鳴き声、クラクションや人の声すらも楽曲に取り入れてしかもそれを独自の音楽として成立させてしまう圧倒的な天性のセンスを見せつけられてしまった感じだ。

主役陣ももちろんの事、特に20年後のブライアンを苦しめる医師ユージンを演じたポール・ジアマッティが印象に強く残った。
ブライアンに「お前は統合失調症だ」と決め付け過剰な投薬を続けて精神をボロボロにし、自らはブライアンの利権を食い物にして贅沢な暮らしを満喫するという最低さ。
ブライアンがユージンに対して抱いていた感情はまだ幼かった頃父親に抱いていたものと同じかもしれないが、それがアメとムチという生易しい考え方では無くいわゆる催眠や洗脳に近い形であると思われる。
過去の体験が潜在意識に刷り込まれ、現在に置いてもその体験に近しいものを自ずと求めてしまうといったような、音楽映画でもあり精神構造を描いた映画でもあったりして。

エンドロールで帰る観客が散見されたが、これは一番途中で帰っては駄目はタイブの作品でしょ...と観終わって思った。
彼らには最後までブライアンが求め続けていた愛についての嘆きが届いていなかったようである。
今風に言うと「うちらのバイブス感じてないっしょ?」みたいな。

@シネ・リーブル梅田
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