掛谷拓也

さよなら歌舞伎町の掛谷拓也のレビュー・感想・評価

さよなら歌舞伎町(2015年製作の映画)
3.3
「ホテルのように人が集まる場所にいろいろな背景と人間関係を持った人たちが集まり、話が展開してゆく」映画のことを「グランドホテル形式」というけど、「さよなら歌舞伎町」はまさにこの「グランドホテル形式」の作品。登場人物たちは偶然そこに居合わせた人たち。彼らは作品の中では互いに深い関係を持たず、断片的な知識しか持っていない。観客だけが、彼らがどういう人生を送りその日どういう気持ちでそこにいるかという全体像を知ることになる。

ウソ、裏切り、性愛、欲望、殺人、強盗、不倫、純愛。これらがある日ある場所で同時に起こる。本当の世界でもこういう日と場所があるのかも知れない。でも、その全てを知ることのできる人間は誰ひとりいない。人間は全てを知ることができないから。「グランドホテル形式」の映画では観客は全知全能の視点を手に入れることになる。

「さよなら歌舞伎町」の舞台はある日の歌舞伎町のラブホテル。早朝から翌朝までに起こる、ウソ、裏切り、性愛、欲望、殺人、強盗、不倫、純愛のエピソードが互いに少しづつ絡み合って展開する。その日起きる出来事に翻弄されるラブホテルの店長に染谷将太。店長と同棲している彼女に前田敦子。ワケありの清掃のおばさんに南果歩。

性愛が非常に醒めた視点で描かれまくる。デリヘル嬢、AVに出演する若い女、ホテル前の路上で客を引く立ちん坊、上司と不倫する女刑事、枕営業のためにレコード会社社員とホテルにやってくるミュージシャン。SM嬢と客。この映画で彼女たちを描く視線は優しい。

「グランドホテル形式」の作品に登場する群像たちの人生を俯瞰するとき観客は必ず、人間というのはなんと断片的な情報で自分の人生を決め、自分の欲望から身勝手に振る舞い、身近な人たちを裏切って自己利益を追求するのか。同時に、なんと不完全な情報で相手を好きになり、その人のために自分が大切にしているものを犠牲にするのか、を感じることになる。そして最後にはきっと、こういう健気な人間たちを慈しみたい気持ちが心の中に生まれる。

本当はさ、もっと下世話な感情や、エゲツない会話、身も蓋もない暴力とかがリアリズムなんだろうけど、この映画はその意味ではリアリズム映画ではなくファンタジーだよね。エグくなりそうな場面では常に優しい音楽が流され、主人公たちがズタボロになって歩く新宿の町並みは朝日が映えて美しい。そして最後にはみんな、それぞれの人生を歩いてゆく。

[追記] 女性主人公は前田敦子でなくてもいいんじゃないかとも思うし、オープニングの弾き語りはまだOKでも、最後の「月の灯」の弾き語りは必要なのか?とか、同棲してる染谷将太の体の上に乗って「ねえ、しよ?」と話す前田敦子の話題性とか。

舞台は別に歌舞伎町でなくてよかったんじゃね?とか、「さよなら歌舞伎町」ってタイトルはどうなの?とか(グランドホテル形式の作品におけるホテルって、単なる群像の容れ物だから土地は芝居の書き割り程度の意味しかないのは普通)

桜木紫乃の直木賞作品「ホテルローヤル」もラブホテルを舞台にした性愛を巡る群像劇。こっちは小説ね。舞台装置としては根釧台地の鄙びた昭和なラブホテルで繰り広げられる、倦怠感と閉塞感のある性愛関係のほうが好み。