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アイ・オリジンズのninjiroのレビュー・感想・評価

アイ・オリジンズ(2014年製作の映画)
4.2
何でもいい、人間がある事象についてものを思う時には、いつも事象とそれが齎す結果をそのままに淡々と受け止める意識と、今現在まで世界に遍く蓄積された知識の中から事例を抽出し事象の因果関係を特定しようとする意識とが境目なく、互い自然に混在している。それは無意識に踏まれるアクセルとブレーキのように、アクセルは生きるための推進力、ブレーキは闇雲に進み過ぎて崖から落ちる若しくは壁に衝突しても尚止まらないという、一方向へと推進する限りいつかは訪れる約束された破綻を回避するための安全装置として、どんな人間にも備わっている。それは真理の追究が何時か何某かの矛盾という壁に到達するということ、つまりは何時まで経っても辿り着けない真理が厳格に存在するというパラドックスに、生きている限り誰もが直面するからだ。
例えば人は死んだらどうなるか、例えばこの宇宙はどのように生まれたか。
バイタルサインと有機体の分解に関する理解により、人体が死亡状態から見た目に消滅するまでの過程は一定に説明が可能であるが、主観的消滅という意識暗転後の無について明確に答えを持つ人間は存在しない。
宇宙の膨張を逆算することでビッグバンセオリーは産み出されはしたものの、平面も空間もない無次元上の爆発的膨張の特異点、つまりビッグバンの始点である学術上の収束点についての明確な証明は存在しない。
人類の歴史は「有」から別の「有」を産み出す歴史、その「有」の数は宇宙と同じように日々爆発的に膨張し続けている。これを遡って辿っていけば、どんな「有」にもその素となる「有」がある、言い換えればその道をどこまで辿っても決して「有」が「無」から産まれる瞬間、「zero-origin」にまでは辿り着かない。究極的に言えば、私たちの存在、全ての存在の起源は明確な定義のない「無」でしかなく、私たちは「無」から生まれて「無」へと帰して行くもの、としか説明出来ない。そんな理屈を頭では理解しながら、私たちはその同じ頭の中並行して、一体何から生まれたのか説明できない想像の翼を広げ、短く広く永く小さく旅をする。最短距離、この惑星の直径を隔てた12時間、ベガとアルタイルが待ち続ける地球時間8760時間、天の川を挟んだ15光年、直径1㎝の小さな宇宙が向かい合う。然るべき状況下に於いて一瞬、然るべき誰かと目が合った、そんな一見何でもない出来事が、その瞳が幾重にも積み重ねた天文学的な確率論を一瞬に無意味にする。永遠の愛を誓う意味は?失くしたものを求め続ける意味は?さよならも約束もなく別れ続ける意味は?心配することはない、神も存在しなかった昔から、或いは神しか存在し得なかった昔から、これまで何度も何度も数えきれないほど繰り返したような気がする。扉を開けて原子の始まりへ、その道に果ては無いと解っていても、今度は私がその手を取って、出来るだけもっと近くへ。
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