回想シーンでご飯3杯いける

沈黙ーサイレンスーの回想シーンでご飯3杯いけるのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.7
キリスト教関連と言えば、メル・ギブソンが監督した全編拷問シーンの「パッション」(2004年)が今でもトラウマになっている。キリスト教には自己犠牲の精神があり、コアな映画作品になるとその描写として拷問シーンが必要になってくるのかもしれない。そんなわけで、グロ描写が多いと言われている本作にもなかなか手を出せなかったのだけれど、自宅TVのサイズなら何とか耐えられるだろうと思い、DVDにて鑑賞した。

しかし「TVサイズなら」という僕の考えは甘かった。というのも本作で描かれる拷問は、肉体的な苦痛だけではなく、精神的な追い込みを伴う、いかにも日本らしい物だったからだ。もはや画面のサイズなんて関係ない、、、、。

僕達日本人が宗教問題を題材にした作品を観た時に「自分は宗教に興味が無い」「現代の日本人は信仰心が薄いから」という感想を抱きがちだけれど、本作を観て思うのは、日本人の信仰心が薄いのは江戸時代から変わっていないのでは無いかという事だ。江戸幕府のキリスト教弾圧の何が怖いって、キリスト教の教えが、日本の宗教と矛盾する等の論理的な根拠が無い事だ。ただ単に、馴染みの無い国外から新しい価値観が伝播する事を嫌悪していたという事だろう。ヨーロッパから渡来した宣教師にとってこれは理解し難い不条理な弾圧に思えただろう。現代の日本人も無宗教や信仰心の薄さを盾にしながら、無自覚のうちに多くの人の自由を侵しているのではないだろうか?そんな事を考えてしまう。

踏み絵のシーンで、幕府の役人が「これは手続き上の物だから深く考えずに踏めば良い」と諭すシーンが何度も登場する。曖昧な議論で国民を煙に巻き、何事も無かったように悪法を採決する現代日本の官僚と極似していて、恐ろしい気持ちになる。

これは遠い昔の話ではない。今も続く日本の文化的排他主義に対する警笛と捉えて良いと思う。遠藤周作の原作を、アメリカ人であるマーティン・スコセッシの熱望により映画化、これをアメリカと日本の俳優が共演して作り上げた意義は大きい。特に日本の俳優陣の演技が素晴らしい。ほぼスッピンで出演している小松菜奈については、エンドロールで初めて出演している事に気づいた。こんな気丈な役どころをこなせる人なのかと驚いてしまった。