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パパが遺した物語のRAYのレビュー・感想・評価

パパが遺した物語(2015年製作の映画)
3.8
“あたたかさとは”


『少年と自転車』を観たこともあって、もうひとつ“親と子”の物語を観たくなりました。


この作品は、父・ジェイク(ラッセル・クロウ)を中心に描く物語と、成人後の娘・ケイティ(アマンダ・セイフライド)を中心に描く物語とをクロスさせながら進行して行きます。

この、過去と現在をクロスさせると言う手法は、色んな映画で用いられるのでそう珍しいものでは無いのですが、この映画に関して言えば、この手法が父の想いと娘の想いの交差をよりリアルに感じさせてくれる上、常にお互いを想い合っていると言うことがとても伝わってきました。

多少、展開や設定が無理矢理な部分があって観る人や、気分によっては感情移入出来ないかもしれないなぁと思うところもありましたが、親にとっての子どもの存在であったり、子どもにとっての親の存在の大きさをあらためて感じました。

冒頭、『少年と自転車』を観てと書き出したので、特に、“親にとっての子ども”の視点について書いておきたいと思います。

この映画において、大事な要素のひとつでもあると思うのですが、“どんなことを犠牲にしたとしても、子を愛する”と言う想いです。
子どもはその時に経験したことや感じた事を覚えていたりすることがありますが、このことは子どもを深く愛することも同様なのだと思います。
その時は確かに、愛されるのがどう言うことなのかも愛するのがどう言うことなのかも子どもにとっては明確でないかもしれません。
しかしながら、その時に受けた愛は、きっと心の中にずっと温かいまま残っていて、その子が大きくなっていく過程や大きくなった時に、強い支えともなり得るのではないかと感じました。

ジェイクはケイティを“ポテトチップス”と呼びますが、これも深い愛情を込めた言葉であり、大人になった時、言葉の意味や、そうやって呼ぶ父の表情を思い出すことが出来るのだとも思います。


『少年と自転車』のレビューでも書きましたが、人は誰しも愛されたいと思いながら生きていると思います。
では、愛されるとはどういうことなのか。
それは、心の中に誰かがずっといることなのだと思います。
その人を思うと笑顔になれたり。
嬉しくなったり。楽しくなったり。
時には腹が立ったり、悲しかったり、涙が出たり。
その人がいることで色んな感情が溢れる。心が温かくなる。
それは、愛されているからだと思います。
同時に、その温かさを“分かち合いたい”と思うのならば、それは愛することでもあると思います。
少し話は戻ってしまいますが、このことは“過去と現在のクロス”からも感じ取ることが出来ます。


レビューを書いていても、親と子だけでなく、愛することや愛されることについてまで考えさせられる様な映画です。
親の視点、子どもの視点、色んな見方が出来るし、学ぶ事もあると思います。
良かったらご覧になって下さい。


僕は観て良かったです。
RAY

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