BigBoss

セッションのBigBossのネタバレレビュー・内容・結末

セッション(2014年製作の映画)
1.8

このレビューはネタバレを含みます

フレッチャーは昔の教え子のケイシーが死んだ原因が鬱の末の自殺であることを知っていながらあえて自動車事故で死んだと嘘の死因を生徒たちの前で涙ながらに話したことから恐らく自分のスパルタ式指導でケイシーが鬱になったということ、因果関係があるだろうことを理解してそれを隠したんだろうし、ニーマンへの私怨から映画ラストのライブでわざと新曲を演奏することを伝えず譜面も渡さずにニーマンに恥をかかせようとしたりした事から、正直、ジャズに狂っているというよりは自己顕示欲や承認欲求、自己保身に狂ってる器の小さな男という感じがした。


特に最後のライブでニーマンへの復讐心から演奏を失敗させて恥をかかせようとする行為はジャズ愛に狂っている人間ならしないんじゃないだろうか。
他のプレイヤーに対してもはた迷惑で、聴衆に対しては不細工な演奏を聴かせることになるし、何より私怨を晴らすためならその不細工な演奏を人に聴かせることを自分自身許容できるということがフレッチャーは最早ジャズを狂うほど愛している人間ではないのだろうと思った。
一方のニーマンもドラム演奏は歴史に名を残すための手段と考えているだけの自己顕示欲の塊のように見えた。ただし、ニーマンの方がすべては良い演奏をするためにという方向性は一貫しているのでその狂い方は理解できるし、そのための努力はやっぱり尊敬できるものではある。

そういった狂った自己顕示欲を持った二人の男のバトル映画であり、戦いの末にお互いに「なかなかやるじゃねぇか」っていうのを見せる映画なんだなと思う。
この構図さえあれば別に題材はジャズじゃなくても良いんじゃないかと思う。
投資会社に勤める二人のファンドマネージャーが俺の方がすげぇんだぜと競い合い時には謀略により相手を罠にはめて会社や顧客に対して損失をだしたりしながら切磋琢磨して最後は二人が協力して巨額の利益を出すことに成功してお互いの力量を認め合うとか。

人間的にクズと言わざるを得ないようなミュージシャンはいくらでもいると思うけど、そういうミュージシャンでも、というかそういうミュージシャンほど不細工な演奏だったなんて人に思われることは死ぬほど嫌なんじゃないだろうか。

ジャズや芸術への狂気を期待してみるともやもやが残るけど、バトル映画としてはそこそこ面白かったです。

題名も「セッション」より「バトル」の方が適切な気がする。
だって他のプレイヤーは完全に駒じゃないですか。セッションしてないよ。

「無能な奴はロックをやれ」というフレーズが出てくるけど、この映画で出てくるようなある意味伝統的ジャズを至高のものと思っている人間がスノッブなジャズをやる事でジャズを伝統芸能に祭り上げ次第に大衆からの支持を失っていったのだろう。
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