このレビューはネタバレを含みます
〈上映当時は気になりつつも見逃し…今回の製作10周年リバイバル上映のおかげでしっかり映画館鑑賞🎬〉
・この数年後「トップガン・マーヴェリック」で洒脱にバーのピアノを弾き鳴らすマイルズ・テラーの快演熱演怪演。どれくらいドラムのトレーニングしたんだろうなあ
・はたから見れば異端も異端な厳格レッスン。あえてライバル設定し競わせる。もちろん期待の現れ、と落ち着いてみればわかるのだけど
⚫︎狂気が狂気を産む
・最初からスタジオ・バンドへの受け入れはとても丁寧。狂気ありきではなかった。フレッチャーの期待量が→厳しさ→狂気に変換され、ニーマンはそれを受け入れ、狂気が乗り移り
⚫︎ののしり台詞のアート性
・浴びせる言葉は(一定の自主規制が入るであろう)字幕日本語でもひどかった(笑)ので、もとの英語はどれほどだったろう
・作品全体の台詞量に対するこの「ののしり台詞」割合がかなり高く、脚本もアートの一部と考えれば、ウィットの塊だったのだろうな…ぜんぶ聴き取れたらどれだけ堪能できたことか
・浴びせる言葉vs演奏パフォーマンスで応える構図が「セッション」になっていて、原題とは異なるタイトルとして妙味
⚫︎2024年に鑑賞できた意味
・「期待しているから」「伝説残してほしいから」とメンタルにダメージを与えるのも"教育"だという主張。それを肯定的に描くのは、現代の筋としてはさすがにないかなあ
・今後時代が進み、裏の裏で、また肯定されることがあるのかもしれない?こういう点に思い巡らせられた点は、今観られた意味のひとつかも