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工場の出口のTnTのレビュー・感想・評価

工場の出口(1895年製作の映画)
3.7
 映画のはじまりはまさにびっくり箱のようで、延々と同じ出口から人々が出て行く姿から始まった。開幕に相応しい映像。しかもウキウキと帰宅する姿が良くて、残業でぽつねんと帰るよりも良い気分だろうなと思った。

 カットが3回かかるが(既に"編集"が施されていたのだ)、調べたところどうやら撮影時期が違うのだとか。それを知らないで見ると、流石に人が出てきすぎだろと思った笑。また「ラ・シオタ駅への列車の到着」のように馬車が出てくる辺りは同じスペクタクルな印象を抱いた。画角が変わることで出口の様相は変化し、ラストは"壁"があることの方が強調されている。フレーミングがもたらす効果も既にここにはある。

 「人々はどこへ」
 寺山修司「田園に死す」のラストにかかる曲名である。思い出す、あのポーンと抜ける映像を。あれは寺山なりの映画の原点、つまり今作への敬服だったのではないだろうか。都市はこちらに開かれるも、道行く人誰もカメラの方へ向かうわけでもなく皆明後日の方へ歩いていく。映画の登場人物もまたその雑踏へと消えていく。孤独なカメラの位置、今作もまた誰もがカメラそのものを知らないままに自然体のままに消えていく。その自然体がカメラをまるで避けていくかのよう。「人々はどこへ」という疑問は、まるで一介の人間である自分の人生にも木霊するというか。誰もが流れて去っていく。スクリーンからこちらに飛び越えてくる者がいないことが、映画、ひいては人生の悲劇なのだ。そのせいか寺山はスクリーンを突き破って演者を出したりする演目をやっていた、それはまさに喜劇だろう(喜劇は幸福と同義じゃない、"幸劇"という概念を持たないの変だな人類)。

 「『人々はどこへ』、その疑問を解決すべく、カメラは人々を追った(テレビの密着取材のナレーションのような口調で)」。そうしてあるのが連綿と続く映画という歴史だった!のか。
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