Habby中野

東京ゴミ女のHabby中野のレビュー・感想・評価

東京ゴミ女(2000年製作の映画)
3.6
世紀の狭間のいわゆる“スタイリッシュ”はビデオの色の撮れなさに拠るとおもう。撮られた瞬間から過去然とする映像化された世界は、狭間の窪みと共鳴する。フィクションみが強いフィクションも現実的なフィクションも。取るに足らない物語はアンチドラマとして機能する。乾きと距離感、それはスタイリッシュということだ。
とんだタイトルをつけられた映画の主人公の女のやってることは執着ではなくフィクションみが強い恋だった。でもたしかに取るに足らないそれはゴミに似ている。それを執着なく見つめるこの映画はゴミを拾うことに似ている。
人は物語を見るときどちらが正しいか、どちらかが正しいはずだと判断する。彼女の恋が正しいのか、男の対応が正しいのか?スルリと生きる柴咲コウが正しいのか?
拾ったゴミを夢の島に棄てる。これに嘘のタイトルをつけることは正しいのか?
しかし想像以上にノスタルジックな終わり方だった。棄てることは、それを所持していた自分をも棄てることか。
「ゴミ女」を撮ることは/観ることは、拾うことか棄てることか。正しいことか?こうして“スタイリッシュ”に残るものは、忘れられて処分されてなくなるゴミか?
人々が棄てた物でできた島 その島はどこに棄てられる?
Habby中野

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