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アベンジャーズ/エンドゲームのHrtのレビュー・感想・評価

5.0
本作の終盤、トニー・スタークが生前に家族と仲間たちに向けて残したホログラムメッセージにどうしても感化されてしまう。
ヒーローたちが家族のもとに帰っていくシーンにモノローグとして乗せられるその語りは、劇中の話を超えて現実の世界での変遷に言及されていた。
ロバート・ダウニー・Jr.が壮大な物語の第一作を引き受けたとき、もちろん計画は聞いていただろうがここまでの現象を引き起こすことは予想していなかっただろう。
役を通り越して彼自身の本心を語っているようだった。

脚本のクリストファー・マルクス&スティーブン・マクフィーリーによれば、本作でスティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカを死なせるプロットは始めから考えていなく、トニー・スターク/アイアンマンに戦いの終結を託すことが決まっていたそう。
これはサノスをヴィランとしている‟インフィニティ・サーガ”の決着としてとても納得のいくものだった。
というのも、トニー・スタークとサノスは思想において表裏一体だと思ったからだ。
なぜアベンジャーズの中でトニーだけが宇宙からの脅威が存在していることをはっきりと認識していたか。
ニューヨーク大戦を経ても地球外生命体の存在に対しての意識が希薄なままのメンバーたちの危機感の無さとは相反して、並外れた天才科学者でもあったトニーには予見できたのだろう。
サノスがトニーの名前だけは知っていたこともそれに通ずる。
お互いを脅威とみなしていた2人が最後の最後に対峙することは、実力差ではおかしく見えたとしてもストーリーとしてはごく自然なことだ。

それとは全く対照的に、スティーブ・ロジャースはサノスと絶対に交わることのない存在として対峙する。
これにはスティーブが科学のことになるとすぐ他のヒーローに顔を向けて話を振るほどの科学音痴というのも関連があるが、絶対的に精神性が違う。
信念を貫いて行動したのは残されたアベンジャーズ全員がそうだが、スティーブが結果としてサノスをイラつかせたこと。
それが大義のために行動していたはずのサノスの邪悪な側面を浮き彫りにさせたことなど、彼の存在自体がサノスにとって忌むべきものということが明白にされた。

トニーとスティーブ、同じチームの2トップとは思えないほど全く違うアプローチで立ち向かっていく両者の共存性への希望と同時に、マーベル・スタジオがどちらの思想に「崇高なる精神」を持たせたかったのかははっきりと示される。
それによってサノスの兜が叩き割られることの意味。
どちらかがないがしろにされる危機感から起こった『シビル・ウォー』を経て、『インフィニティ・ウォー』では分裂したがゆえに敗北を喫し、どちらも尊重されるべきものという帰結にたどり着く『エンドゲーム』。
二大政党制を採用するアメリカでは(アメリカ以外でも起こっていることだが)国家規模の大きな出来事ではどうしても二項対立になりがちである。
マーベル・スタジオはその政治的ジレンマをアイアンマンとキャプテン・アメリカの関係性に上手く落とし込んだところが素晴らしいと思う。

またはハリウッド映画の代表的なテーマ「父親の話」と「兵士の話」の取り入れ方も特筆すべき点だ。
スティーブについては唐突感が否めない印象だが、彼がトニーの助言を基に行動したことを想うと納得できるものだった。
いくつか解決しないこともあるが、現実の人生そのものに白黒つけられる状況が少ないことが表れていると思う。
またここで二項対立軸を持ち出すのも本作に通じるテーマと合っていないので却って良かったと感じている。

最後にはMCUを超えて全ての物語について回る「継承」についても描かれていた。
『キャプテン・アメリカ』シリーズに特に思い入れのある自分にとってこのラストシークエンスは至高の数分だった。
スティーブが量子トンネルの上に戻ってこなかった時のサムとバッキーの反応の違い。
戻ってこないことを知っていたかのように冷静なバッキーはやはりスティーブのことを誰よりも理解している。
そして年老いたスティーブが戻ってきた理由は自身と同じ信念を持つサムにシールドを託すため。
キャプテン・アメリカの象徴を受け取った時の、サムの覚悟を決めた精悍な眼差しが忘れられない。
2023年のスティーブがペギーとチーク・トゥ・チークでスロウに踊っているラストカット。
かかっている曲は1945年に正式に発表された‟It's Been A Long, Long Time”ということから終戦の年だろうか。
曲の内容から、(サノスとの)戦争から帰還したスティーブをペギーが迎え入れたことが示唆される。
80年近い時を越えてついに安らぎを手にした兵士の表情に涙が止まらなかった。
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