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スポットライト 世紀のスクープのLCのレビュー・感想・評価

4.2
面白かった。

本作、とても良かった点は、きちんと「個人ではなく、全体を標的にする」と焦点を軌道修正した場面を、何故そうする必要があるのかわかりやすく描いたところだと思う。

他にも、大切なことをきちんと言葉にしており、暴力的な映像表現はないが、しっかりその暴力性が伝わるように作られていると感じる。
好みの子ではなく、特定の子を意図的に狙って行われる、とか。
金銭的に恵まれない子、家庭環境に問題のある子、また、他人に相談できないことがある子。
では何故そのような子が狙われるかと言えば、これもきちんと大切な言葉が出てくる。「 groom 」がそれに当たる。日本でも、グルーミングという言葉が聞かれるようになった。
つまり、特定の子にとって「初めての理解者、また、最も親しい友」として近付くことなのだが、作中も証言者が言うように、変だなとどこかで思っても、「でも、この人は自分を理解してくれた、信じたい」という気持ちが利用される。この人は自分を1人の人間として認めてくれている、と。
しかし、成長していく中で、自分を理解していたわけでもなく、認めていたわけでもなかったことに、嫌でも気が付く。
だからこそ、やはり他の人が言う。「ここまで生きることができた彼は、幸運なケース」なんだと。「生存者である」と。耐えられずに自ら命を断つ者が、たくさんいるということだ。
そして、乗り越えられないままに、自分がされたことを他者に再現してしまう人も、もちろんいる。
助けを求めることもできないまま、破壊されたまま生きていく。
何とか立ち直っても、それは完治を意味しない。

子どもの身体も精神も破壊して、未来の平穏も奪い去って、それでも黙殺できるのは何故か。
組織的に加害者を守るからである。組織とは、今回ならば教会なわけだけど、ここでもきちんと描写されているものがある。つまり、信者であったり、社会全体であったりする。彼らはどうして組織的な黙殺に加担してしまうのか。
やはり、教会に対する信頼が最も大きい。信じているものを壊されることに反発するのは自然なことである。社会全体が「教会は神に支える者のいる、聖なる場所」だと信じて疑わないからこそ、神父様は我々の味方だという認識を強く持つからこそ、被害者は声を上げづらい。
そして、お金を儲ける立場の人も出てくる。大抵は、法を盾に口を閉ざす。
証拠となる記録を隠す力すらもある。証拠がなければ、やはり泣き寝入りするしかないのだ。記者さんたちも、大変な苦労をしていた。個人で立ち向かえるわけがない。

しかし、他にも重要なことを、やはり本作は描いてくれている。
今、問題を追う者たちが、この問題が既にニュースになっていたことを知る。何年も前に、もうお前たちに資料送ってるぞ、その時お前は、何をしてた。
彼らだけでなく、何かあると、確信ではなくとも漠然と感じながら、何もしない者も多くいたということだ。
未来のどこかで、問われる時が来る。その時、お前は何をしていた。

今回のケースでは、きちんと新聞社が買収されることもなく、圧に屈することもなく、地道に証拠を集めたからこそ、また、何もしなかった過去にきちんと向き合ったからこそ、成せたのだろうと思う。
もし、新聞社に限らず、各メディアが組織的構造に組み込まれてしまっていたら、困難であった。
各メディアがこの構造に組み込まれている現状が、残念ながら、あるようだ。どこに、とは言わんけど。
加害側にとって、知名度があり、各業界と仲良くし、儲けさせ、そして多くの人に愛される大きな組織であることは、強大な力となって被害側を圧殺できるので、とても心強いだろう。どれだけ勤務先を変えても、犯行が減ることはない。

あの時お前は何をしていた。
そう問われた時に、胸を張って「被害を受けている者の為に声を上げた」と言えるかどうかは、今の社会に生きる人にとっても重要な問いかけだろう。未来のどこかで、問われる時が来る。
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