雷電五郎

グローリー/明日への行進の雷電五郎のレビュー・感想・評価

グローリー/明日への行進(2014年製作の映画)
4.1
黒人の選挙権を求め、キング牧師を始めとする同志達がアラバマ州セルマ市から州都へかけて命がけのデモ行進を実現させる過程を描いたヒューマンドラマです。

この作品の肝はデモ行進が結末なのではなく、あくまで権利を求める運動の一部であるということです。
作中、主人公であるキング牧師は演説などで意志を同じくする仲間を集めるだけでなく、大統領や州知事との政治的駆け引きを担う指導者としての腕前にも優れていることが描かれます。
いかに正当な権利とはいえ、デモを敢行する目的は国の法律を変えることであって、やみくもにデモをするだけでは実現できない大事。
誠実さ潔白さだけではなく、交渉の重要さをもってキング牧師の政治家としての側面がきちんと描写されているため終始緊迫感があり骨太なドラマに仕上がっています。

また、明言されてはいないものの、キング牧師や仲間達が常に暴力や死を間近に感じながら活動している気の抜けない雰囲気が差別と差別を撤廃させることの困難を思わせ知らず知らず体に力が入ってしまいました。

「私の運命を決めるものが私ではなく、私を苦しめる人々なのだ」
このセリフは黒人のみならず、すべての民主主義国家において通じる意識であり、不当な権力や差別に対し、NOをつきつけることができる力を持つのもまた国民自身であることを示す言葉であると思います。

作中、苛烈な差別の描写が度々あり、現在も尚、潜在的な差別意識の標的になっている黒人の方々がどれ程の命の上に「今」を勝ち得てきたのか、そして、勝ち得るためにデモという国民の権利を存分に活用してきたことに頭が下がる思いです。

昨今SNSでも話題になりましたが、日本ではデモや座り込み、ハンガーストライキなどの抗議活動を嘲笑する人間が大勢います。しかし、人間が運営する以上、常に正しい政治など存在はしません。だからこそ、民主主義において国民が政治の不当を糾弾する手段が与えられているのです。国民自身もまた国を運営する人間の1人だからです。
その権利を嘲笑い見下すことは暴政を暴政のまま受け入れ、不当な権力の奴隷に成り下がることを意味します。

怒りを露わにしなかった故の現状を「仕方ない」とやり過ごすのは楽かもしれません。ですが、10年後20年後に是正されないまま生き延び続けた不正が国を良い方向へ導くことなどありえません。

今自分のため、ではなく、10年後の自由のためにキング牧師が非暴力のまま闘い続けたことを、ただ称賛したり感動するばかりではなく自らにも問わなければならないと思わされる作品でした。

力強く切実で非常に見応えのある一本です。デモを冷笑することが高尚などと履き違えた人達に是非にも観て頂きたい映画です。
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