ninjiro

クイーン:ロック・モントリオール1981のninjiroのレビュー・感想・評価

-
幕は降ろすな!
ショーはまだ終わっていない…!


買って手元にあっても、開封すらしていないDVDやBlu-rayはたくさんある。
いつか観たい。それがいつかは分からないが、大事に取っておきたい…。
そのうちの一枚。ついに観ることができた。

クイーンとの、フレディ・マーキュリーとの出会いは、子どもの頃、夜中のMTVで見たMVだった。
MVの曲名は「Scandal」。
なんだか気持ち悪いおじさんが一生懸命にクルクル回ったり、妙なキメポーズやウォーキングでランウェイを行ったり来たりして歌うものだった。
最初は呆気にとられて半笑いだった私も、いつしかその切実で、圧倒的に力強く美しい歌声に吸い込まれていた。
たまたまレコード屋で見つけた「The Miracle」の輸入盤を買ったのはそれから数週間後、すぐに魅了されて聴き続けた。
私が彼らを知った時には既にフレディは第3形態を完成させていたので、彼がいかな振る舞いをしようとも、そもそもそういうもの、という認識しかなかったが、様々な変遷を経て今日のクイーンというものになったことも後日知った。
フレディがゴリゴリのゲイだろうが、そんなことは関係なかった。
音楽の持つ力になす術なく圧倒される、というその時の経験は色んなボーダーを乗り越えていつまでも心に反響し続けた。

矢も盾もたまらず、過去の音源を聴き漁った。
どれも素晴らしくエモーショナルな音楽で、特に私の好きな曲の殆どはフレディ・マーキュリーの手によるものだった。
もっと聴きたい、フレディのことをもっと知りたい、そんな時に届けられたのはアルバム「Innuendo」だった。

その内容に何か妙な違和感を感じながら、オンタイムでクイーンのアルバムを聞けることの歓びに浸るひと時。
「show must go on」そうだ、これからもショーは続いていくのだ…。
しかし、程なくしてフレディ自身によるHIV感染の報告、そしてこちらに心の整理をする間も与えず、あっという間に彼は逝ってしまった。

それ以来、私は少なからず、出来るだけその時に負った心の傷に触らないように生きてきたような気がする。

大学に入って時代が変わり、いや、自分自身の置かれる環境が変わったことによって、友人同士で音楽の話をすることが多くなった。
友達と話を合わせるために、自分の中でのクイーンの存在を、好きだけど時代遅れの音楽だ、なんて貶めたりしたことを覚えている。
クイーン自身、ずっと時代と関係のないところで音楽を鳴らしていたはずなのに。それも知っていた筈なのに。

…今日、完璧なショーを観た。
自意識を切り売りするような音楽の業界にあって、これ程までに深く観客と演者が互いに愛し、愛される場があったとは。
ギリギリまで削ぎ落とした演出は、クイーンという名を冠した四人が、如何に生身で観客の眼の前でその身に持つエネルギーと技術を全てを出し切るかに終始する為の舞台。
如何にハードルを高くしようと、どこまでも観客の期待に応え続ける彼ら、そしてそれだけの技術と体力を維持し続ける彼らならではだ。
Blu-rayに収録された特典映像、伝説のライブエイドの6曲。そこで渦を巻く観客の姿は、テレビの映像の前でどうしようもなく涙する私なんぞより確実に果てしなく深い感動に襲われ自然発生的に渦を作り、自ら進んでその渦の中に飛び込んでいく。
そこに立ち会ったなら、必然だと思う。
そこには奇跡がおこっていたのだ。

彼らはいつもプレスに散々に批判された通り、どの時代においても時代遅れだった。
ダサいダサいと言われ続け、それでもそんな世評を音楽の持つ圧倒的な力でねじ伏せて来たのだ。

あの頃、あれ程に焦がれたクイーンは、今はもうない。
過去には、もしフレディが生きていたら、その影響を受け続けたとしたら自分は、今と何か変わっていたのかな、と思う事もあった。
しかしそんなものはきっと甘えだったんだろう。

私には19歳の甥っ子がいる。
彼は勿論、フレディが生きていた時代を知らない。
しかし、まだ小さかった彼はフレディの足跡を追い、憧れ続け、胸を張って好きだと言い続けた。
勉強を頑張るからそのご褒美にと、初めはクイーンのアルバムを一枚ずつ揃えていき、中学の時にはついにギターを買ってもらった。
その彼が、再来月小さなステージに立つんだ、と嬉しそうな声で電話して来た。
なんだか嬉しくて、羨ましくて、涙が出てしょうがなかった。

酒が飲めるようになったら、一緒に酔っ払いながらフレディの話しような。
ninjiro

ninjiro