きんゐかうし卿

セルフレス/覚醒した記憶のきんゐかうし卿のネタバレレビュー・内容・結末

セルフレス/覚醒した記憶(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

 
 
 
 
自宅にて鑑賞。贔屓のT.シン監督、旬のR.レイノルズ主演作。監督お得意の潜在意識系を弄る物語だが、有り勝ちな手垢の附いたテーマであり、『ヒストリー・オブ・バイオレンス('05)』を想起したが、過去の残像や微かな記憶に苦しめられる『トータル・リコール('90/'12)』か『クローン('11)』辺りに近いテイスト。やや舌っ足らずで説明不足な箇所もあり、観る人を選ぶのだろうが、いい映画であり、云い換えるなら好きな作品だ。何よりアート系に偏った人だとばかり思ってた監督がエンターテインメントもしっかり撮れると知ったのは大収穫。80/100点。

・珍しく「覚醒した記憶」と云うオリジナルの邦題(副題)が、鑑賞の邪魔になっておらず、端的に本作を云い表している。自己中心的なアイデンティティと一旦、消し去った筈の他人とその過去を思い遣る板挟みに陥り、このジレンマを産み出した者達に怒りをぶつけ、葬り去ろうとするエディプス・コンプレックス、更に些細な誤解により生じた確執で不和な関係となってしまった娘への詫びと贖罪──ごくオーソドクスで王道中の王道なストーリーであり乍ら、厭きさせる事無くがっつり最後迄、魅せてくれる。

・敢えて苦言を呈するなら、肝となる設定のシェイディング(脱皮精神学)後、“ダミアン”の自我が随分縮少されている事と金属があると巧く処置が完了出来無いと云う装置の弱点(薬莢を銜えていたので自己を保てたと云う後半の伏線)を知り乍ら、碌な対策や検査を講じず弱点の対処を怠る“フェニックス”の連中と云う間抜けに思えるプロットホールとも云える微妙な展開が散見出来る所である。更に薬の服用を止めた時点でと云う設定が判った段階で、結末は想定可能な上、実際それを超えない予想通りのラストを迎える感傷的な物語ではあるが、それを差し引いても充分満足した。

・冒頭から僅か15分だけの出番ながら近作ではこのテの役が多い印象の“ダミアン”のB.キングズレーとどこか憎めない初代“アントン”のD.ルーク、先頃鬼籍に入った宇宙物理学者を髣髴させる“フランシス・ジェンセン”博士のT.F.マーフィー、温厚で頼れる相棒“マーティン”のV.ガーバーとその上品な妻“ジュディ”のM.ハーディン、難しい役どころの“クレア”のM.ドッカリーと芸達者な面々が脇を固める中、善人にも悪人にも見える謎めいた仇役“オルブライト”のM.グードが特に佳かった。

・監督にとって初めて石岡瑛子抜きでの製作となった。彼女は物故('12年没)の為、参加出来無かった。本作で“(“ダミアン”転送後の)マーク”を演じるR.レイノルズがしている腕時計はパネライPAM00312である。

・“クレア”のM.ドッカリーは“メアリー・クローリー”として、“オルブライト”のM.グードは“ヘンリー・タルボット”として、TVドラマ『ダウントン・アビー シーズン5('14)・シーズン6('15)』で共演を果たしている。そこでは伯爵家の長女“メアリー・クローリー”のM.ドッカリーに対し、カーレーサーである“ヘンリー・タルボット”のM.グードが求婚する役所である。

・本作の設定と展開は、J.フランケンハイマー監督、R.ハドソン主演の『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身('66)』に巻き込まれ型サスペンスとしてよく似ている。

・鑑賞日:2018年12月7日