Ricola

ウイークエンドのRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

ウイークエンド(1967年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

短気なフランス人の日常から、「おとぎ話の世界」および「映画の世界」に迷い込んでしまう。非現実から抜け出せない。当人たちがもはやそこから抜け出したいのかもわからない。

まるで寝ているときに見ている夢のなかで、夢を見ていることを自覚しながら、自分の言動を俯瞰しながら、何か不可抗力に抗えないような感覚を味わっているようなのだ。


ヴァカンスのはずだった週末が地獄の終末へと化してしまう。
どこまでも続く渋滞を映す長回しが印象深い。まるで絵巻物のように、横へ横へと、カメラは車を映し続ける。
誰かが鳴らしっぱなしのクラクションの音で耳が痛いくらい。
皆諦めて後続車の人とキャッチボールしたり、車から降りてチェスをするなど、自由に振る舞っている。
途中で車がひっくり返っていたり横転しているが、それが渋滞の原因ではないようで、ゾワゾワする。
車で詰まっている道をひたすら見つめていると潰れた車の近くに当たり前のように人が道端に血を流して倒れているのが見えてくる。渋滞を紛らわしていた呑気な人々の様子から想像のつかなかった、この衝撃な光景から、彼らは「不思議の国」へと迷い込んでいくのだ。

渋滞から抜け出した彼らは、さらなるハプニングに遭遇することになる。高級車が事故でめちゃくちゃになり恋人まで失った若い女性が、近くにいた農作業をおこなう車に乗った中年男性に八つ当たりをする。
彼女は血まみれのまま、我を失ったように私たちのほうが価値のある人間だと、農業なんかより自分たちのほうが役に立つだのとめちゃくちゃな言い分を放つ。
そこに運悪くやって来た夫婦はとばっちりを受けるが、それも振り切って走り去っていく。

他の人物たちからも彼らは逃げていく。
乗り込んできた怪しい男女二人組からも、不思議の国のアリスのように、小説の世界らしき住人にあってまるで話が通じず埒が明かない「ルイス・キャロル」の住人たちにも、理解しようとも迎合することもなくその場を去っていく。

「皆殺しの天使」との字幕の挿入があったが、この『ウィークエンド』も不条理劇であることはたしかであり、さらにブルジョワ批判の側面は大いにある。
そもそも主役の夫婦がその批判の対象であるのだ。
車が炎上して自分たちの命が助かったことよりも、自分のエルメスのバッグが燃えてしまったことを嘆く妻に、我々は嘲笑せずにはいられない。

クライマックスはドラムが鳴り響く森の中へ。
何もかも失ったブルジョワの夫婦は、サバイバル生活を強いられ、社会的階級や社会の常識など無意味な世界で、今日生きるための食料を確保することに奮闘するのだ。
Ricola

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