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愛のように感じたのSPNminacoのレビュー・感想・評価

愛のように感じた(2013年製作の映画)
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ビーチで日焼け止めを塗った白い顔の Lilaが振り向く。友達の Chiaraは新しいBFとイチャイチャ。Lilaはぼんやり浮かない表情でそれを眺めるだけ。
大人びてソツがないChiaraと比べて、Lilaは自分が子供っぽく思えてしょうがない。ビーチで出会った大学生Sammyに近付き、精一杯虚勢を張るが何も進展しない。ダンス練習では1人だけ振り付けに付いていけないし、パーティで飲みすぎても自分で吐けないし、Sammyにも彼の仲間にも見下され、誰にも相手にされないLila。自虐的に危うい状況に飛び込んで自尊心を傷つけられるものの、何も変わらない。1人きりで冒険に出たのに、結局Chiaraの世話になる虚しさ。誰も相手にしてくれない。そんな15歳の夏。
カメラはずっと少年少女の身体、首から下を殊更クロースアップする。尻や太もも、背中や手脚。タトゥが入った男の肩や胸、若い肌。セクシャルな視点というより、切り取った無記名の身体パーツに見える。Sammy含め男の子たちはみんな坊主頭(『ブルックリンの片隅で』もビーチでつるむ男子がみんな坊主だった)。パンツを下げた下半身も記号のように並ぶ。怪我したSammyにLilaが無関心だったように、見てるのはお互いに表層でしかない。その中で自覚的なChiaraは本当に大人っぽい。
ひと夏の経験を求める少女のカミング・オブ・エイジ・ストーリー…にはならず、とても寂しい思春期映画だ。父子家庭とか、Chiaraの16歳の盛大な誕生パーティとか、むしろジョン・ヒューズ『すてきな片思い』を反転した、モリー・リングウォルドになれなかった女の子のリアル。ダイアローグ一つ一つが短くて、特に若者同士は素っ気ないほど短いのがまたリアル。夏と若さに宿る倦怠感と疎外感は、やはり『ブルックリンの片隅で』と対をなすようでもある。エリザ・ヒットマンの映画は画も何もかも弱々しく寂しい。多部未華子に似た感じのアンナ・ダヴィドフの顔が、絶妙に気怠くて良かった。なるほど、最後にダンスがそう結び付くとは。
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