真田ピロシキ

500ページの夢の束の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

500ページの夢の束(2017年製作の映画)
4.5
自閉症の女性ウェンディ(ダコタ・ファニング)が大好きなスタートレックの脚本コンテストに自作脚本を届けるため1人ロサンゼルスまで向かう。私自身が自閉症スペクトラムで何かしら共感を覚えるところが多いのではないかと思い、またその特性故か分厚い脚本を書けるほどのスタートレックオタクに設定したことも面白く感じ、生きていく上で色々と不自由を強いられる人が同好の士との繋がりを持つことで世界を広げていくような話を想像していたが、トレッカーと呼ばれるような人は(トレッキーというのは否定的なニュアンスなんだってね)そんなに出てこない。

ウェンディには母の死後面倒を見ていた姉のオードリー(アリス・イブ)がいるが結婚して子供を産んだ後は距離があってグループホーム住まいとなっていて姪とも会ったことはない。一念発起して脚本を直接届けにホームを抜け出してからも、親切な子持ちの女性に助け舟を出されたと思ったら金を奪われたり、金と一緒にiPodも奪われたので町中では聴覚過敏に苦しんでいて、思ったよりも自閉症の本人も家族にもヘヴィな側面が描かれててぱっと見の柔らかさとはギャップがある。ダコタ・ファニングの表情が固い演技も自閉症の特徴を表現してて上手いものかと。ところでダコタ・ファニングがピーナツバターサンドと言うと『宇宙戦争』のアレを思い出す。

ドラマとしては一つ一つのエピソードにややパンチが弱く感じ、随所で柔らかいポップスを流すのもミルクと砂糖を大量にぶち込んだコーヒーのようで本来苦めの味を損ってる気がする。スタートレックにあまり詳しくないのもそこまでのめり込めない一因か。しかし自閉症の特性である自身の定めたルールに従うがために渡れていなかった信号を渡ったことにウェンディの人生の新たな一歩が描かれていて、郵送でしか受け付けないとするパラマウント社員の言葉を無視して社内ポストに直接投函する姿は迷惑といえば迷惑かもしれないが、障害のためにいろいろ自分を殺さなくてはいけなかったであろうことを考えればこの行動は当事者的には爽快である。トレッカー仲間との交流はグループホーム管理者スコッティ(トニ・コレット)の息子が紛失した原稿を拾ったり、ロスで警戒するウェンディにクリンゴン語で話しかけた警官が素晴らしい味してて終わってみればなかなか良い気分。こういうオタクは良い。差別主義者の反"ポリコレ"で覇権作品だけが好きな権威主義者の嫌なクソオタクどもを忘れることができる。

特に良かったのは結局ウェンディは入賞することはできず賞金を得ることは叶わなかったことで、並外れたスーパー自閉症の話にはなっていないこと。この手の話ではとかく天才自閉症を描かれがちであるが、そんなものは当事者にとってはありがたくもなんともない。そんな超レアケースではなくて普通にしてくれ。普通に。入賞しなくても好意的な激励コメントはもらえて、大金がなくても姉との絆は取り戻せたそんなささやかな喜びを描いた本作こそ当事者には必要な物語。そしてお金にならなくても何かに打ち込めることはかけがえのない宝になると言っている本作は自閉症でなくても刺さる人は少なくないのではないだろうか。