私はこの映画を見て非常に感動して、原作も読み、広島県呉市まで赴き、北條家跡やその他劇中で出てきた場所を巡りました。
原作で読んだ道を通り北條家まで行き、すずさんが見たであろう美しい山々、美しい空とたくさんの船に溢れた活気のある呉港の雄大な景色を見て思ったのは、この映画はとある人の人生の記録だったんだな、という再認識でした。
この映画はすずさんの半生が語られ、その途中に太平洋戦争があったのです。
すずさんの人生がたまたま太平洋戦争と被ってしまった。
でも、すずさんにとっては自分の人生の一部に戦争が“あっただけ”で、その時はそれが普通だったのだと。
これだけでは語弊を招きそうですが、要はこの映画は決して戦争映画ではなく、すずさんという人間が逞しく激動の時代をも生き抜いたんだよ、世の中は戦争していても、みんなには生活があったんだよ、という人の人生が丁寧に語られた映画なのだなと思いました。
ある日突然、戦争がやってくる。
しかし、その戦争に覆い被せられた、人々の普通の生活がある。
俺たちの生活を見てくれ!それを忘れないで、と言わんばかりの力強い日常を映し出しています。
この作品を見て、自分の祖母を思いました。
昭和、平成、令和を生きた祖母にも戦争体験があり、大空襲を曽祖父に手を引かれ逃げ回ったという話をよく覚えています。
でも、普通の生活もあったはず。
祖母には一世紀近い歴史があったわけですが、そのほとんどを私は知りません。
自分の祖母はどんな人だったのだろう。
曽祖父は、そのまた祖父は?
いまさらわからないこともたくさんある、せめて、たくさん人が懸命に生きた歴史の延長線上に自分がいる事実を噛み締めよう。そんなことを映画を見てふと思いました。
この映画はそんな普段忘れていく何気ないものを忘れないようにしてくれる作品でした。
かなりベタな言い回しですが、
「何気ない日常が大切」
ベタな言い回しには、なぜベタになるのか、つまり、なぜみんながヘビーユーズする(めっちゃ使いたがる)のか理由があります。
マジでその通りだから、です。
ただ、言葉を使いすぎて、言葉だけが一人歩きする。言葉の真意が忘れられ、あいさつ的な単なる言葉になっている。
この映画はそんな言葉とその真意の乖離を繋ぎ止めてくれる役割をしています。
だからこそ、すずさんの何気ない日常に心を打たれるのでしょう。