ガンビー教授

湯を沸かすほどの熱い愛のガンビー教授のネタバレレビュー・内容・結末

湯を沸かすほどの熱い愛(2016年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

最初に擁護しておくと、編集とか撮影による「見せ方」の部分については手練れたものを感じる。

しかし、ストーリー部分が不快でならなかった。本作で「おかあちゃん」が変化し成長するシーン、他人から何かを教えられるような展開は無い。常に絶対的に正しい価値観として君臨している。本作は一方的に価値観を押し付けられ、それが良いものだと叩き込まれ、最終的にはその価値観が伝染していく話だ。その価値観じたいに全く共感を覚えなかったとしたらこれは地獄以外の何物でもない。

まず根底にあるのは忍耐を美徳とする考え方。不平とか、文句とか言ってはならないし、苦しそうな顔すら見せてはいけない。常に笑顔を見せなければ、って言葉にすると聞こえは良いが、無理にでも作り笑いを向け続けなければならないのが家族だとしたら家族なんてものはごめんである。家族というのはそういうものなのか?辛い、苦しいという表情を家族にすら隠して一人抱え込むことが美徳なのか?という疑問が終始つきまとい続ける。

例えば苦しいことを自分の中に抱え込んで、家族には笑顔を見せ続ける人がいたとする。その姿には感銘を受け、ぐっと来るかもしれない。しかし、そこから「苦しい辛い感情を隠すのが美徳」という結論に向かうのは飛躍に過ぎない。そういう価値観を良いものとして語っておいて、登場人物が泣きそうになるのを懸命にこらえるシーンで涙を誘おうとするのはあまりにあざとい。

そして、耐えることこそが良いことという価値観に基づき、おかあちゃんはいじめられている娘を無理やり学校に行かせようとする。娘からくわしく話を聞こうとすることもないまま。「今日行けないと明日行けなくなるから……」なぜそこまでして「学校」が行くべきところなのかを説明することはない。というか、理由という理由は存在しない。ひたすら耐えることが美徳だということ以外に何もない。これは本当にクソを何個連ねても言い尽くせないほどクソな場面だ。このおかあちゃんの行動に賛同できる、という人にはもはや何を言っても無駄だろうと思う。いじめ周辺のくだりは最後までクソ親じゃねーかという怒り以外の感情が湧かなかった。じっさい子供を奇行に走らせストレスで吐かせているし。お前がいじめてどうするよ。しかしクソ親のクソのような対応で万事上手く片付いてしまうのだから世話もない。優しいいじめっ子たちで良かったね。

おかあちゃんの周囲に対する接し方は常に断罪的・他罰的である。もちろんそれが常に絶対の正解だからだ。そこで生じたコンフリクトにおいて、彼女が折れることはない。「自分がいちばん苦しんでいるのだから他人には厳しく当たって良い」という言外の行動原理が透けて見えるかのような、傲慢な態度。

他にも、子供がいる前での松坂桃李のエロ漫談とか、正気を疑う。この映画はよくよく見ていくとこういうおかしな要素に溢れている。もう辛くなってきたので列挙しないが、違和感というより倫理観のネジがぶっ飛んでいるとしか思えない。

子供というものをフィクショナルなものとしてしか捉えていないのではないかと思ってしまう。フィクショナルというか、実感を持って身近な存在として認識できていないのではないか。そうでなくては、これほど勝手な大人の側の価値観を押し付けられるはずもない。
ガンビー教授

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