ほーく

シン・エヴァンゲリオン劇場版のほーくのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

とうとう、いや、やっとひとつのピリオドが打たれたのだろう。あの、エヴァンゲリオンがひとつの終わりをむかえたのだ。思えば、多感な思春期にテレビ版を見始め、あの衝撃の最終回に混乱し、旧劇場版を映画館で鑑賞して釈然とせず、新劇場版に至ってはNHKで序破Qを連続視聴しながらやはりQで途方に暮れ、覚悟を決めて映画館に向かった。もちろん思いは、『毒を食らわば皿まで』。鑑賞後、いや、鑑賞中に思ったのは、『まあ、こういう終わりかたが無難だよねえ。』ということ。もはや、満場一致の終わりかたなんてものはなく、できるだけ、庵野が描きたいものと我々観客が観たがっているものとの齟齬を減らすことができるか。庵野は意外とこんなことを考えていたのではないだろうか、と思っている。

ここで注意喚起。ここからは、内容、特に作品のテーマなどに言及していく。よって、未鑑賞の方はここで読むことを止めることをお勧めする。作品を鑑賞済みのうえで、まあこういう解釈をしたひともいたんだなあという行為を楽しめる方が目を通してくれると幸いである。また、そもそも作品を見るつもりがない方は、まあもの好きな暇人ですねぇと同志愛的なものを覚えてしまうので、是非今後ともよろしくお願い致す所存です。

このくらい離しておけば、うっかりネタバレ食らったじゃないかと逆ギレされることもないかな。




では、続き。

先にも述べたように、私はシンジとほぼ同じくらいの年齢でエヴァの洗礼を受けた。そして、歳を重ね、いまやたぶんゲンドウより年上になった。その過程で配偶者を得、親となった。だからこそ、ゲンドウの思い、理解者に出会えた喜びからその存在に依存してしまい、その存在を失ってしまい、狼狽し、心を閉ざしてしまうこと、お互いを支えあうべき実子と向き合えない臆病さにもある種の共感を覚えるし、理解する事もある。また、そんな父と向き合えない、向き合いたくないシンジの苦難、葛藤、やがてその父より先にそれを克服してしまったからこその哀しみ、また、その喪失感も分かるのだ。そして、他の登場人物が抱える闇にそのある種の理想的な解決策、それにも思いを馳せることもできる。まあなんだ、結構親切に作ってくれてると思うんだよなあ。完璧な正解なんてないよ、もの作りには。
ほーく

ほーく