雷電五郎

レディ・プレイヤー1の雷電五郎のネタバレレビュー・内容・結末

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

言わずもがな、スピルバーグ監督の大エンターテイメントです。
今回はあらすじを省きます。

まず第1に素晴らしい点は、大人でも子供でも共通して楽しめる作品であること。
オンラインVRゲームという舞台は最早遠い未来の話ではありません。現在に即した舞台を用いつつ、きわどい下ネタやグロ表現、人を選ぶような、あるいは、特定のジャンルの人間だけを喜ばせるような独善的な笑いがないことに爽快感を覚えます。
主役を良く見せるために、不必要な悪役の貶しもなく、正にどこの誰でも享受できる映画に仕上げたスピルバーグ監督の手腕はさすがとしか言いようがありません。

第2に、80年代から現在までのポップカルチャーをふんだんに取り入れていること。
ゲーム、アニメ、漫画、映画に対しいまだにオタクだけの趣味と先入観を持つ方もいますが、それらは既に文化や芸術の一部として確固とした歴史を積み上げてきたものです。
なくても支障はありません。確かにそうです。ですが、これらのカルチャーから得られる体験は形こそないものの、人の感情を豊かにくすぐる娯楽なのです。
ともすれば下らない、子供じみていると否定されがちなポップカルチャーの古今東西を作品に用いたことで年代のギャップを取り払った世界観になっている点が素晴らしいです。

設定と世界観に膨大な情報量を割いている分、物語がシンプルであることもスッキリと観終わることができる理由だと思います。
言葉で言うのは簡単ですが物語をシンプルにするということは、最初に想定していた要素に変更や削除を加えなければならないということに他なりません。

余分な箇所をそぎ落とすことは多くの映画では出来ておらず、それ故、写したい画が優先されていることがありますが、レディプレイヤーワンは徹頭徹尾、物語のために画がありました。

簡潔であり爽快な作品です。

勿論、主人公の家族環境の描写不足(叔母の死に対しウェイドが淡白すぎる点)やレジスタンスの危機管理が杜撰なことなど首を傾げる部分もあるのですが、ストーリーの勢い勝ちでしたね。

ゲームの世界を魅力的に描きながらも、現実だけがリアルであるというほろ苦く客観的なメッセージが最後に登場するのもまた良かったです。
いわゆる廃課金と呼ばれるソーシャルゲームユーザーへの皮肉ともとれますね。

個人的にダイトウの「俺はガンダムで行く!」で一番テンションが上がりました。

欲を言えば、ショウの活躍がもう少し観たかったこと、デロリアン以外にスピルバーグ作品のオマージュが観たかった(スピルバーグ自身が自作品を登場させることを自惚れととられたくないと拒否。デロリアンは説得の末登場させたとのこと)こととアイロックが悪役としてもっと怖い存在でもよかったのでは、という点でしょうか。

インディジョーンズやバックトゥザフューチャーのように、不意にもう一度観たい!と思うような映画でした。

楽しかった!
雷電五郎

雷電五郎