MARUKO

ノクターナル・アニマルズのMARUKOのネタバレレビュー・内容・結末

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

追記:あの後小説を読んだ。そこに““ジェイクギレンホールが演じていないトニー””をみた。もう一度映画を観た。全く違う作品に変わった。以下は小説を読む前の自分のレビュー。敢えて新しいのは書かない。

オープニングのインパクトのあまりの大きさで、何か意味があると必死に考えてしまった。そのあとの些細なしぐさ等にも意味があるように思えてきて、興味が絶えない。隅々まで見てしまう。
気づいたら“あ、これは小説だった”と何回か思い直していた。満たされない生活の中で、元夫のことを失い後悔するスーザンと小説の中で妻を失い後悔するトニー(エドワード)が自分には何となく重なって見えた。でも実際はもっとシンプルで、元夫エドワードが本を送り、それを読むスーザンがどう思うか。結論彼女は元夫に会いたくなる。宣伝文句で“復讐か愛か”とあるが、それは復讐であると自分は思った。自分がそう思ったのはこの会いたくなった点にあり、エドワードが彼女にそう思わせる、そう気づかせる事が彼を信じていなかったこと、それによって彼を傷つけたことを後悔している彼女には、一番の復讐になる。ましてやエドワードは彼女と初めから再会するつもりはなかっただろう。それは彼の書いた小説から、トニーと警部のボブに重ねられる。ボブは自分が死ぬとわかっている、失うものはないとわかってる。その上で、捨て身の復讐をし、トニーもそれに乗る。それが今のエドワードで、会うつもりはない、つまり失うものはないと分かっていてこのおそらく敢えて自分が主人公の本を送ったと私は思った。
あくまで私見だから分からないが、そうだとしたら尚更この作品はほんとに良くできていると感じられるし、見れば見るほど深みにはまっていく。そしてラストシーンのスーザンの何かを察したようなハッとした(?)愕然とした(?)表情の意味と彼が来なかったことについての想像はいかようにも膨らみ、余韻を残す。(ボブと完璧にリンクしていたとしたら、エドワードが死ぬ説も考えたほど…)
演技も素晴らしい、ところどころ特徴的な音での心理表現やカット割などの演出も素晴らしい、サスペンスとしても面白くて、エンドロールが短く感じるほど思考がフル回転する。かなり衝撃的な作品に出会えた。

追記:トニーをジェイクギレンホールが演じていたことで、思い込んだ。当然トニー=エドワードではないのであって、読んでいるのはスーザンであると言うこと……自分もラストのスーザンみたいな顔になった「ハアッ……!!!”」
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