誰かと関わるのは時にとても面倒で大変で疲れて嫌になってしまう。
それを極限まで減らしたのが現代の都市生活で、コミットする面倒はとても少なくなった。
それが喜ばしいことだと多くの人が思っていたからこうなったんだろうけど、果たして本当に喜ばしいことなのだろうか。
僕は感じるのだけど、何をしたところで面倒の総量って変わらないんじゃないだろうか。
もちろん面倒の種類によってそこまで苦じゃないものとものすごく苦なものがある。
コミットする面倒を減らした現代人は、その分違う面倒を背負い込むことになって、それへの対処の仕方が分からなくて苦しんでいるように見える。
現代の精神的な病みはここからきているような気がしてならない。
自分の中にある優しさみたいなものを解放する必要があるのだと思うし、誰かが解放した優しさに照らされる必要があるのだと思う。
そのためには誰かに必要とされ誰かを必要としなければならない。
そうしないと人は自分の精神の毒性にやられてしまう。
そう、それが人と関わるということの大事な部分なのだろう。
そして、それが人の傷を癒していく。
薬物に手を出し、路上生活者となったジェームズ。
路上ライブをしても収入はゼロに等しく出口の見えない生活を送っているが、更生プログラムで与えられた家に迷い込んできた一匹の猫(ボブ)との出会いによって、彼の人生が変わっていく。
ボブに必要とされ世話をするために人に助けを求めるジェームズ。
ボブを媒介として人との関わりが生まれてくる。
その中で自分に差し伸べられている手に気付いていく。
ちょっとエキセントリックだけど温かみのあるベティがとてもキュートで惚れてしまった。
ボブのハイタッチにはほのぼのとしてしまう。
実話に基づいた話で出演している猫は本物のボブ。
ジェームズ本人もチラッと出ています。
"ボブのおかげで別の人生もあるって気付いた"
人生の底から生還できて本当によかった。