KnightsofOdessa

リアル・ライフ(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

リアル・ライフ(原題)(1979年製作の映画)
2.5
No.643[映画泥棒があなたの人生を記録します] 50点

実名がアルバート・アインシュタインというらしいアメリカのコメディアン、アルバート・ブルックスの監督デビュー作。1973年に製作された『An American Family』というメディアイベントのパロディであるらしい。同作は本物の家族の生活をリアルタイムで撮影した作品らしく、恐らくは『トルゥーマン・ショー』みたいな作品だったのか…?本作品では撮影されることでリアルでなくなるリアルを虚構を使って提示している。要するにモキュメンタリーであることは先に言っておこう。

まず、ブルックスはこの家族を全米から募り、車庫入れでカメラマンを殺さないテストや子供と親の役割を交換して精神力を試すテストなど、訳のわからない小ボケ系テストを繰り返し、選ばれたのは綾鷹…ではなく、アリゾナ州フェニックスに暮らすイェーガー家だった。

彼らを撮影するカメラが映画泥棒みたな形をしていて、しかもそれが日常に侵食して自分たちの生活を撮影し続けているのに、気にしてはいけないのだ。無理だろ。そう、無理です。というわけで一日目から家族はバラバラに。娘も息子も言うことを聞かず、母親ジャネットは精神不安定気味になって、父親ウォーレンだけが撮影のルールを守ろうと躍起になる。しかし、このカメラはあまりにも作為的というか笑わせに来ていて寒いし、切り返しに映っていなかったり、忘れた頃に登場したりと、映画そのものに"リアルさ"がない。単純に目障りなのだ。

あまりにも枠組みが現実と虚構とを往来するので、実際にブルックスの思惑がどこにあったのかは分からなくなる。ブルックスも分かっていない可能性すらある(或いは考えうる他の可能性を考慮していないかも)。本来であればカメラはフィックスではないし、長回しになるはずである。『Sherman's March』や『David Holzman's Diary』という個人撮影による傑作はそういう作りになっていた。しかも、後者のテーマも"映画は真実を映しうるか"という本作品と同じテーマを扱っていたモキュメンタリーだった。同作では鏡にはカメラが写り、カメラの後ろには作中の監督であるデヴィッド・ホルツマンがいた。

虚構をリアルにみせること(映画=この作品)を、虚構であることを意識させるのが目的なのかもしれないが、それにしれはあまりにも不自然に、どうでもいいタイミングで画面に入ってくるため、映画に集中できない。どうでもよくなってしまった。

何かをバカにしたいという強い気持ちは伝わったのかもしれないが、空回りしているようにしか見えない。『風と共に去りぬ』をバカにしたラストも、私は許せない。マックス・スタイナーに土下座して謝れ、タコ。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa