ミーハー女子大生

君の名は。のミーハー女子大生のネタバレレビュー・内容・結末

君の名は。(2016年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

「君の名は。」
思えばこのタイトルから既にこの映画は始まっています。

多くの人が1度見たときは感動はしたが、完壁ではないと感じたと思います。
あれがいらない、こうした方がいい、二人が恋に落ちる過程をもっと描いた方がいい等々・・・
しかし2回目見たときその欠点が減っているのに気付いたのではないですか?
それは決して慣れだからではありません、この物語に流れる本当の意味に少し気が付いたからなんだと思います。

この恋の最初は実は入れ替わりではありません、それは冒頭のシーンではっきり明示されています。
三葉が瀧に組紐を渡すシーン、つまり三葉の失恋から物語が始まっているのです。
つまりこの物語は一つの叶わなかった恋を叶えるための物語なのです。
この叶わない恋の叶わないようにする圧力はなかなか凄まじい物があります。
劇中、災害という直接的な手段でもって引き裂くのはもろちんのこと、お互いの記憶すら留めるのは困難を極めます。
さらに、それでも忘れないための記録すら世界の力を持って消し去られます。
ここでタイトルをよく見てください。
「君の名は。」、「君の名は」だけではなく「。」が入っています。
これではそこで文章が終わってしまいます。
つまり、このタイトルですら名前をそこに入れることを許していないのです。
実際、最後も名を言うシーンではなく、名を聞くシーンで終了しその後は描かれません。
この作品は最後まで二人がお互いを認識することを拒否し続けたのです。

このまるで絶対の力のように2人の間に様々な障害が立ちふさがっていますが、ただ一つ2人の気持ちを代弁した歌だけがその運命に抗うかのように流れます。
2人が入れ替わり生活をしているときに流れる曲の歌詞は、その瞬間の2人の感情を表すには少し過剰です。
いかに相手が愛おしかったか、大変な思いをしながら会いに来たか、この先何があっても何度でも探すといった歌詞は、この”前”があった事を強く意識させます。
つまり、このシーンは2人の馴れ初めであり、なおかつこの2人という存在自体が絶対にお互いを想うことを諦めないという決意表明にもなっているのです。
そして災害が起こる時の曲は2人がお互いを覚えていることは、”権利なんかではなく義務である”、と忘れたことを強制した世界に対する強い憤りをあらわします。
そして曲の中で”2人で生き抜いていこう”という所でその瞬間を迎え入れるのです。

劇中、2人が名前を交換しようというシーン まるで、世界がそれを阻止しようとしたかのように儚く逢瀬は終了しますが、三葉が瀧の手に書いた横線は「み」と書くには明らかに長いです。
もろちん「三」の可能性もありますが、そうではないことを示すシーンが序盤にあります。
彼女が書こうとしたこと、それは恐らく瀧が三葉に残した物と同じだと想います。
それは、彼らがお互いを”会えば絶対にわかる”と想ったこと以上に、その瞬間を絶対に迎えてみせると決意した瞬間なんだと思います。
だからこそ、瀧は2人をつなぐ組紐をここで渡すのです。
この組紐は2人の絆の象徴でもあり、瀧をここまで引っ張ってきた世界との戦いのバトンです。
ここでそれを渡すことで、瀧は三葉に三葉が生きるための戦いを渡します。
それは結局三葉でなくては生き残れないと痛感したからであり、何を捨ててでも生き残ってほしいという気持ちの表れなのです。
絶対に相手を生かすために自分がどうするかより、相手を信じて託す。
もうこの作品は、災害と戦った部分だけではなく、作品全体が2人と引き離そうとする世界との戦いの物語であると分かっていただけたと思います。

運命に流されるのではなく、それに抗い必死でただ”ちゃんと出会う”ために戦う。
ただのラブストーリーではなくラブストーリーになるための戦いの物語だからこそ、最後で2人の勝利が確定した瞬間に言い知れぬ感動が起こるのです。
そして、2人の思いを理解した2回目にこそ完全無欠の映画になる。

ストーリー 4
演出 5
音楽 5
印象 4
独創性 4
関心度 3
総合 4.1

132/2022