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「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ三歳の年」

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『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ三歳の年」』に投稿された感想・評価

masato
4.5
近頃、セルフドキュメンタリーという言い方をされることが多いけれど、もともとの「日記映画」でいいじゃない。ドキュメンタリーというからややこしくなるし、どう見ればいいのか、ということになって「セルフドキュメンタリーは気持ち悪い」みたいなことをいうエセ評論家というか、にわか映画ライターみたいなやつが増えるんじゃないのかね。

で、言ってしまえば、ジョナス・メカスに至っては、ゴダールと同じく、メカスという唯一無二のジャンルなんだと思う。

見て、感じて、時々まどろんだり、泣いたり笑ったりしていたら、知らず知らずのうちに、ウーナを自分の子どものように、兄弟のように思い出したりする。
cyph
4.3
ジョナス・メカス生誕100年上映会にて、16ミリフィルム上映で鑑賞 直前の西嶋憲生氏による講演で紹介された「映画の新しいボキャブラリー(メカスはピンぼけや露出過剰/露出不足をこう呼んだそう)」と言う言葉を耳に残しつつ、映写機のリールの回る音を聴きながら、字幕なしで映像と耳に集中しての鑑賞 というこれ以上ない贅沢仕様だったので初めて寝ずにメカス作品を観た

アメリカでの冬の生活、娘を連れて訪れたリトアニアでの日々、オーストリアでの時間 3歳になる前後のちいさい娘ウーナが画面の中に登場したことで、多幸感にブーストがかかっていつまでも観ていたい幸福な時間になっていた 自身の、あるいは大切なひとの、本人の記憶にはまるで残っていない幼年期のホームビデオを観ているときの感覚と近く、メカスの「この瞬間を残したい」「娘の幸福そうな姿を通して自身の幼年期の幸福に再会したい」という執念をより自分事として近づけて受容できたのもよかったんだと思う 手を乗せていく遊び きのこ狩り 3年前に式を挙げた教会 誕生日ケーキに踊り ピーターと牛

大きな窓からの光を乱反射するたくさんの植物とふわふわの金髪が光るちいさい娘と同じくふわふわの人馴れした猫と美しい妻に陽気なピーター というメカス宅の光景に何度でも目が潰れた



以下講演メモ

①イントロ
16ミリフィルム上映で観る機会は少ない フィルムに字幕を入れる場合、打ち込みが必要 16ミリに字幕を2行入れると半分近く覆われてしまう これまではコメンタリーを別に配布して、メカスの声(英語というよりは声)を聴きながら観ていた それはメカス自身の要望だった アンソロジーフィルムアーカイブスというフィルム保存・上映施設に半生を費やしていたが、そこでも外国映画は字幕なしで上映していた 字幕なしで画面を見てほしい

(自分語り)晩年のヴィスコンティのように作り込まれた映画は息が詰まる、自分向きじゃないと感じていたときに、『リトアニアへの旅の追憶』を観て、自由で即興的な空気感に映画の理想を感じて、メカスを含むアンダーグラウンド映画に興味を持つようになった パリにいたとき8ミリで日記を撮ってた 『リトアニアへの旅の追憶』は最も多く絶え間なく上映されてきた飛び抜けて有名な作品 映画館でなく岩波ホールで8回上映されただけの作品なのに、73年キネマ旬報のベスト24という快挙

②メカスの映画の特徴
晩年に至るまで自身をDP displaced person 本来の場所から追い出された人、難民と呼んでいた 難民日記の原題は『どこにも行く場所がなかった』「20世紀という時代の目撃者であり証人でありクロニクルライターである」 おそらく100本前後の作品を発表した 日記映画はその瞬間瞬間を撮っているため、文字で書かれる日記とは意味が異なる また、いずれ作品にすることを前提に撮られている 作者のまなざしが記録されている

『サーカスノート』という作品(12分) ある日(1966年5月12日) サーカスを観に行った日の日記 編集をせず、撮影段階でフィルムを重ねながら撮っている 多くの作品と同様、一本のおおきな日記映画の中に入れ子的にちいさな作品が入っている 彼の人生の累積の一部のようだとも言える(※アンディウォーホルの『スクリーンテスト』という作品 ギャラリーにきたひとの顔をスローで撮影したものを500本ほど累積させていく) ウォールデンのリール2に相当 通常であればNGになるようなピンボケ・露出過剰/不足も映画の新しい ボキャブラリーだとして採用し、spontaneous(自然発生的な)に向かっていくために意図的にそうした"失敗した"テイクを入れている

『リトアニア〜』は、唯一始まりと終わりがある例外的な作品 メカスと弟がリトアニアに帰ると決まったとき、ドイツのTVがドキュメンタリーを撮りたいから同行したいと言われ、第三者に撮られるくらいなら自分で撮る と言って本作が出来た



③メカスと日本との関係
1960年代にアンダーグラウンド映画が広まっていき、1970年ごろにはジョナスメカスという名前は有名になっていた フィルムアート社と繋がりのある草月アートセンターというところが出資・支援して『リトアニア〜』が73年に公開 当時のフィルムは中沢新一が個人で持っていたもの 96年にメカスと相談して35ミリフィルムへブローアップをして、字幕も付けて映画館上映・VHS化した 蓮實の論で画面について一切語られてない・失望 カイエドゥシネマの英語版の編集長・作家主義オトゥールセオリーという言葉を輸入した批評家アンドリューサルスとメカスは同じ雑誌で書いていたので、サルスを通してメカス(実験映画)について蓮實は書いたのかも?

83年に初来日 アンソロジーフィルムアーカイブスの資金集めのために来日 96年にきたときはNHKで詩人吉増剛造とメカスとの交流を描くドキュメンタリーが放送された


④作品紹介

いまだ失われざる楽園
メカス52才で結婚し子を持つ、その影響からか80年くらいから楽園という言葉をよく使い始める 失楽園paradise lostと対の言葉 幸福happinessは幼年期の記憶のこと その記憶に戻っていってるような、泉鏡花のような感覚がある 失われた子供時代が一つのテーマになっていく


ぜフィーロ・トルナ、あるいはジョージ・マチューナスの生活風景
ジョージマチューナスの亡くなるまでの2年間 亡くなる3ヶ月前に結婚式を挙げる



⑤主催者の韓さんの言葉
2000年に京大西部講堂で『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』5時間上映で人生ががらりと変わった
noelle
5.0
粟津邸のジョナス・メカス展にて。粟津潔デザインの特大リトアニアへの旅の追憶ポスターを背にしたスクリーンに、16mmフィルムでメカスの映像が重なる。メカスの生きた時代の空気が閉じ込められた建物に映写機の音が響く最高な環境での上映会。とても贅沢な時間だった。

久々のメカスのテンポに身を委ね序盤から涙腺が緩む。メカス家族の日々の断片を集めた、娘のウーナに捧ぐ6部構成。逃れついた先にあった日常という名の楽園のビジョン。些細な瞬間に多幸感が充ち満ちていた。雪のニューヨーク。ダンスするウーナ、木の枝を引き摺るウーナ、ロバをびびりながら見に行くウーナ。そしてやっぱり最高にかわいい無表情のメカスママ(今回もじゃがいも、皮剥きは包丁で)。ひたすら幸せそうなメカスの自撮りもいつになく多い。
眼差しで映画は成立するということを私はメカスから教えてもらったのだったと思い出した。身体使って日々を目一杯生きることが抵抗なのだと、メカスの映像を見ると思う。そしていつも見たあとはカメラを握りたくなる。Be idealistic、いい言葉だ。

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アウステルリッツ

上映日:

2020年11月14日

製作国:

上映時間:

94分
3.6

あらすじ

ある夏のベルリン郊外。群衆が門に吸い寄せられていく。辺り構わずスマートフォンで記念撮影をする人々。ここは第二次世界大戦中にホロコーストで多くのユダヤ人が虐殺された元強制収容所だ̶̶ ドイツ…

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