純

ゴッホ~最期の手紙~の純のレビュー・感想・評価

ゴッホ~最期の手紙~(2017年製作の映画)
5.0
「愛か、狂気か。」のキャッチコピーが印象的だけど、愛と狂気って別々のものなのかな。狂気のない愛や愛のない狂気なんて存在するはずないよねって、そう確かめられる映画がこの作品なんじゃないかと私は思う。ゴッホは確かに狂気的な面もあったけど、同時に愛に溢れたひとでもあって、爆発的な感情に素直で純粋で忠実で、本当に人間らしいひとだった。だから彼の描く自然は命を宿しているんだと思うし、彼の絵画が揺れ動くこの作品もまた、生きているんだよね。

話は、郵便配達人の息子アルマンが、父の友人であり謎の死を遂げたゴッホが弟テオに宛てた手紙を託されるところから始まる。アルマンは渋々引き受けるも、旅先でテオはすでに亡くなっていると知った。同時にゴッホの死に疑問を持った彼はふさわしい手紙の受取人を探すべくゴッホの死の真相に迫る、というサスペンス調の映画なわけだけど、単純なストーリーの中にひしめく感情の豊かさ、鮮やかさが本当に素晴らしかった。それぞれの登場人物の視点から描かれるひとつの真実の食い違いは、ミステリー要素以外の役割も存分に果たしてくれていたように思う。一人一人の思考、感情がまさにゴッホの絵のように脈打つ「本物」で、本当に丁寧に炙り出されていた。

ゴッホの油絵がアニメーションとなって私たちの目に飛び込んでくる。百人以上もの芸術家たちの努力の結晶によって生まれた、宝物みたいな映像だった。元々、ゴッホの絵画は飛び出しそうなエネルギーをぐっと封印したような、今にも動き出しそうな熱を帯びた作品のように感じていたから、有名な「星月夜」が動き出すイントロが流れた瞬間から、「あ、これだ」という感覚だった。「星月夜」以外でも登場した沢山の絵画たちすべてが、かつてゴッホによって吹き込まれた命を解き放ってもらったかのように思えた。

ゴッホタッチのカラー映像も、過去の回想シーンを描いたモノクロ映像も、どれもとても美しい。ゴッホの絵は対極するかのような荒々しさと繊細さとを丁寧に結びつけた絵ばかりで本当にすごい。まさに自分自身を絵に投影させた画家だなあと思う。モノクロの世界では揺れる水の透明感と滑らかさに驚いたし、本当に敬意を持って大事に大事に作られた作品なんだなということがすべてのシーンから伝わってくる。ゴッホへの敬意や感謝、憧憬をこうやって形にしようと思ったひとたちがいて、こんな素敵な作品を作ってくれたと知ったら、ゴッホはなんて言うだろう。どんな絵を描くだろう。

絵の技術だけでなく、心の機微を描いた作品としても本当に傑作。孤独と不遇に悩み、理想と現実のギャップに苦しんだゴッホの陰に潜む、一筋の光をちゃんと見つけてあげるような作品だった。「人生は、強い人の心をも挫いてしまう」。幼い頃から劣等感を抱えて生き、与えられるべきものを与えられずに壊れてしまったゴッホ。どんなに苦しくても彼は「生」に手を伸ばして一日一日を過ごしていたし、彼のキャンバスに映る世界はいつだって眩い命を謳歌していた。彼は気狂いした異常者なんかじゃなくて、心の底から切実に、きちんと生きたかっただけなんだよね。周りのひとたちを大切にしていたからこそ、特に最愛の弟テオを大事に思っていたからこそ、あんな悲劇が生まれてしまった。

I want to touch people with my art. I want them to say "he feels deeply, he feels tenderly".というゴッホの言葉がエンドロールで流れたときは、もう愛おしさと切なさが込み上げて思わずうるっとしてしまった。もう少しでこぼれてしまう、ってところまで涙が出てきて、ゴッホの不器用さと誠実さを、強く強く抱きしめたかった。彼が人々に求めたのは、素晴らしい絵だとか天才だとかいう賞賛ではなくて、どんなに暗くても風変わりでも、自分はちゃんと世界を深く感じられて、優しさを持っているんだってことの承認だった。自分はまともなんだということ、皆と同じ世界を優しく捉えているのだということ、こんな自分でもそんな気持ちで生涯取り組めたたったひとつの芸術があるということ。ゴッホが生きているうちに800もの作品を残したのは、名誉や名声のためではなくて、自分を肯定したかったからなのかな。そう思うと、彼の内なる叫びの底にそっと沈んでいる寂しさや穏やかさが、やっと恥ずかしそうにその姿を見せてくれる。

個人的には、ガシェ医師の葛藤にも胸を打たれた。本当は芸術家としての道を歩みたかった過去がある彼が、自分の患者の類稀なる才能にどれだけ嫉妬して、どれだけ自分の不甲斐なさを実感していたか。自分の一番大事な、でも一番弱いところを、悪気があったかは別としてゴッホに罵られて、どれだけ悲しい気持ちになっただろう。悔しいだとか情けないだとか、そんな言葉じゃ表しきれない思いが彼の胸では渦巻いていたはずだ。小さな村ではそれぞれの人物にとっての真実があるだけで、彼の葛藤は誰も知り得ない。銃弾を取り除かなかった彼の苦しみは、あの部屋にゴッホと一緒に永遠に閉じ込められている。誰も悪くないのに皆が悲しい思いを背負わないといけなくて、それがこの映画の持つ残酷さ、辛さだと思う。それでも、この道に憧れたガシェ医師が、ゴッホの作品の中で芸術界に生きているというその事実は、ささやかな救いになってくれた気がする。

本当に人間の心の奥深くまでを丁寧に掘り下げて、でも本人が守りたいところには足を踏み入れずに優しく包んでくれるような、思いやりが感じられる温かな作品だった。登場人物たちの一秒一秒の表情の変化が愛おしくて、ゴッホの泣きたくなるくらい真っ直ぐな誠実さが尊くて、本当に観て良かったと心から思った。ゴッホ展を回って少し時間が経っての鑑賞だったけど、あの日見た作品や以前から好きだった絵画の数々が、もっともっと自分にとって意味を持つようになる、そんな映画だったと思う。
純