唯

愚行録の唯のレビュー・感想・評価

愚行録(2017年製作の映画)
3.5
人間の愚かさや醜さがわたしは嫌いじゃない。
誰しもそういったものを愉しんでいる・求めているきらいがある様に思うのだ。
その人の所謂「本性」「素」といったものが表出した時に、初めて相手を生身の人間として実感し、親近感と或る種の好意を持って相対することが出来る様になる(私の場合)。

無論それも度が過ぎると別問題なのだけれど(この登場人物達は皆一様に開き直っており、その潔さに感動するほど。あっぱれ。)、他人事として眺めている分には純粋に面白い。滑稽で、愉快。
怒っている人を見たり実際に怒られたりすると、どうにも笑いが込み上げてきて堪え切れない時の感覚と似ている。

人それぞれ不遇な状況に見舞われるが、ひとつひとつの選択は必ず自分で選び取っているわけで。
不幸すら自ら進んで選択をしているのではなかろうか。
幸せであることより不幸であることの方が心地好いところ・易きところであるからなあ。
一方、他人の状況は顧みずに自らの幸福の為にのみ突き進む人も存在する訳で、何だかんだ需要と供給の均衡は保たれて世界は成立している。

浅はかさと賢さは紙一重。
どこまでも愚かにも賢くもなれる。それが生ものの人間、というもの。
些細なことに必死こいたり大切なことを投げ出したり。
「そんな人間が愛おしい」と感慨深くはこぼせないが、
「そんな人間が嫌いじゃない」とはボヤけるかな。

会話劇のスタイルを崩さずに一人称で進んで行くからこそ、証言のどれもが正解であり不正解であることを突き付けられる。
原作の文体を活かした演出でありながら、コミカライズされた人物造形はなかなかキャッチーな気がした。
音楽にしてもエピローグにしても煽りに煽りまくる。それでいて明確な展開や答え合わせが無い為にカタルシスを得られず、もやもや。
ミステリー特有の「糸が繋がる」瞬間には出逢えない。むしろ「糸が紡がれる」ことでストーリーは進んで行く。

愚行にはスリルと快感がある(推測)。
それに、愚行によって結ばれた関係性はそうでない繋がりより濃く強いのではないか。

監督とお茶がしたいです。
唯