うるぐす

花戦さのうるぐすのレビュー・感想・評価

花戦さ(2017年製作の映画)
3.7
花戦さ。

なんで、「花戦」じゃなくて、「花戦さ」なんだろう。
物事にはちゃんと意味があるんです。
「花戦」だと、「はなせん」「かせん」と読めちゃうじゃないですか。それじゃダメなんです。

「はないくさ」と読ませるためには「さ」が必要なわけです。


内容としては、主人公・池坊(野村萬斎)な、花の道というれっきとした古来からの「文化」を使って主張するわけです。
戦うわけです。だから、「花の戦」なんですよね。でも、それじゃやっぱり「かせん」「はなせん」で良くなるんですよ。

と思って映画を脳内で辿ってると、劇中、一般民衆が俳句を詠み合ったりするシーンがあるんですね。

そうです、掛詞です。


その俳句のシーンでは、豊臣秀吉のことを揶揄するときに使う「猿」と「去る」が掛けられていたり、まあ、とにかく「猿」を使った掛け言葉を含んだ俳句を詠むシーンがあって、その俳句に対して、「うまい!」って周りの人たちが言う。これが二回あったんですね。これ、確実に狙ってるな、と。つまり、「いくさ」は「戦」と「(花を)生くさ」を掛けてるわけですよね。
で、これはこの物語のもう1人の主役、千利休(佐藤浩市)との対比にもなってるわけです。いわば、千利休は豊臣秀吉と最後めちゃくちゃ対立してしまうんですが、その時の戦い方に利休は、秀吉とは、向き合わないという、背中を向けることを選ぶわけです。茶を点てないんですよね。でも、池坊は、秀吉との戦い方において向き合うんですよ。花を生けるわけですよね。このタイトルの見事さ。
ちなみに、この映画を見たのが水曜日。その前の火曜日の夜中に観ていた『フリースタイルダンジョン』でR-指定が「菊の花を蹴った」→「薔薇薔薇になった」→「牡丹の掛け違い」→「死人に梔子」と花にまつわる韻を踏みまくってたのを思い出しました。R-指定の戦い方とこの『花戦さ』はもはや同じと言ってもいいのかもしれません。そんな見方をしてる人間、世界に自分だけでしょうが。どや。

あと、大人になればなるほど、秀吉がめちゃくちゃ嫌なやつ、ってことに気がついてきますね。
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