TOSHI

ありがとう、トニ・エルドマンのTOSHIのレビュー・感想・評価

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邦題で何となくスルーしてしまっていたが、数日前に本作が、アカデミー外国語賞ノミネート作で、カイエ・デュ・シネマ誌の年間ベストワン作品なのだと気付き、駆け込みで鑑賞した。
ドイツで、小学校の音楽教師をしているヴィンフリード(ペーター・シモニスチェク)。妻とは別れ、愛犬と暮らしている。冒頭の宅配便を受けとるシーンから、兄を装って対応したり、荷物が爆弾かも知れないと思わせるなど、意味が分からないイタズラを好む、面倒臭い人である事が伝わってくる。
ヴィンフリードは愛犬の死をきっかけに休暇を取り、グローバルな経営コンサル会社で、現在はルーマニアで働く、娘イネス(サンドラ・フラー)を訪れる。イネスは大事なプレゼンを控えているが、親を突き返す事もできず、大使館のレセプションでの取引先企業の取締役との接触や、その後のパーティーに付き合わせる。
ビジネスシーンに付き合わされた親が、多少ずれた振る舞いをするのは仕方ない事で、ここまでは大して変わり物でもないと思っていた。
しかし数日を一緒に過ごし帰った筈のヴィンフリードが、謎のカツラと入れ歯で変装し、トニ・エルドマンと名乗り、イネスが行く所に神出鬼没で現れる展開に驚いた。友達と一緒の場面に現れたため、イネスが仕方なく初対面のフリをしたり、パーティーで知り合った女性にドイツ大使館員を名乗り、秘書として紹介されたため、合わせたりするのに笑う。
ヴィンフリードは、父親が来たのに仕事のことしか頭になく、パーティーでドラッグを吸ったりするイネスが心配で仕方ない。仕事や人生そのものが、彼女を不幸にしていると考えているのだ(イネスにお前は人間かと、本音ともジョークともつかない事を言う)。彼女を笑わせて人間らしい生活を取り戻させるため、彼としてはこんなエキセントリックな方法を取らざるをえなかったのだろう。
私もコンサル会社に勤めていた事があるため、スマートな提案をスピーディーに作成し、成果(売上)を挙げる事に追いまくられるイネスの心境もよく分かる。そんな状況で、親から時代錯誤な説教や冗談を言われると、相手にしたくなくなってしまうのだ。父がウザくて仕方なかったイネスが、笑いの形を取った父の無償の愛の温かさを感じ、少しずつ変わっていく描写に感情を揺さぶられる。
ドイツ大使館員と秘書を名乗り、入ったパーティーの去り際、ヴィンフリードの伴奏でイネスが歌う、ホイトニー・ヒューストンの「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」。半ばヤケクソで歌っているのに、イネスが解放されていくようで、感動させられてしまう。
そして、イネスの自宅でのチームメンバー達とのパーティーが、全裸パーティーになり、ブルガリア伝統の毛むくじゃらの精霊の被り物を被った、ヴィンフリードが現れる。意味が分からないが、何か凄い物を見ている気にさせられる。部屋を出て行った被り物姿のままのヴィンフリードをイネスが追って行き、抱擁するのも不思議な感動がある。ラスト、祖母の葬式でのイネスの表情が余韻を残す。
本作には、グローバリズム・成果主義VSゆとり・笑いの構図があり、前者を体現するのがイネス、後者がヴィンフリードと言えるが、どちらに与している訳でもなく、ヨーロッパの今を生きる人をありのままに提示しているだけである。しかしそんな中でも、親の子供に対する愛は純粋で、不毛ではないと思わせられ心に沁みた。
とにかく間合いが独特で、意図がはっきりしない長回しのシーンが多く、不思議な映画である(こういう映画を撮るのは、男性監督という固定概念が崩れた)。変装して現れた父にイネスが怒る訳でもなく、流れに任せる心情も不思議で、それが作品の持ち味にもなっている(イネスが交際する同僚男性とのホテルでのデートで、セックスに気が乗らないイネスが相手に、自慰をした精液をルームサービスのケーキに命中させたらそれを食べると言う、かつてないシーンも理解が難しい)。あまり賞を取るタイプの映画とは思えず、レヴューするのも非常に難しいが、近年の映画には希少な、他に似た物がない唯一無二な映画である事は間違いなく、忘れられない作品となった。
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