panpie

午後8時の訪問者のpanpieのレビュー・感想・評価

午後8時の訪問者(2016年製作の映画)
4.3
罪悪感。
今作のテーマである。
最近罪悪感を扱った作品に出会う事が多い気がする。
立場や人種が違えど恐らく最も共感出来る感情なのかもしれない。

罪悪感は往々にしてその時の軽い気持ちからの判断でとった行動により思わぬ結果が生じた時に起こる心の動揺だ。
その時に熟考しその上で行動に移せば結果に振り回される事も無くその後後悔に苛まれる事もないだろう。
しかし時間が無かったり疲れていたり深く考えられず曖昧なまま判断を急いだ結果にあの時こうしていればこんな事にはならなかったという自責の念が罪悪感だ。

今作のジェニーの罪悪感により起こす行動に驚くと共に共感した。
果たして私ならジェニーの様に行動に移せただろうか?
ましてそれが人の死に繋がる結果になろうとは!

その時のジェニーの心情を思うと研修医に先輩風を吹かせたかった自分にも嫌気がさすし損得を考えないまだ素直な計算尽くしではない研修医への嫉妬に駆られた自分の醜い感情をも含んだ罪悪感。
誰もが持つ裏の感情である色恋沙汰ではない嫉妬が絡んでいるから厄介なのだ。
でもこのお陰でジェニーは自分の心の声に従って生きる事を選択できたのだと思う。
この若さでそれに気付けたのはとてもありがたい事だが同時にあの時こうしていればという選択を後悔する事もあるのかもしれない。
人は虚栄心の為に地位や名声を得たいと思うし誰しも評価されたいし認められたい。
でももしかしたら地位や名声や富の為に捨ててしまった心の声を思い出し後々後悔するのと人としての生き方を思う時何方が罪悪感に囚われて生きる事になるのだろう。
正解はない。
何方もその人の人生だし何方を選んでも後悔するのかもしれない。

でももしジェニーが町医者では無く大病院で論文を発表し認められ高い地位を築き評価される医者になっていたら彼女の人生は違っていただろうしもしかしたら午後8時に訪ねてきた彼女を救わなかった事による罪悪感は持たなかったかそれに蓋をして振り返る事を忘れる様に仕事に没頭していたかもしれない。
それもまた人生だと思う。

あの時ドアを開けていれば。
この小さな罪悪感を放置せずそれに向き合わず私のせいじゃないと切り捨て忘れようと努めなかったジェニーが私は好きだ。
彼女が起こした行動は罪悪感に蓋をして生きていこうとした人々の琴線に触れ蓋をした罪悪感を剥がし導いて行く。
そして真実が分かった時心が震えた。

研修医に檄を飛ばした為に来なくなってしまった彼に何度も声をかけ田舎にまで謝罪に訪れたジェニーに研修医は意外な告白をする。
ジェニーの罪悪感が少しだけ薄れる瞬間閉じていた扉が少しだけ開く。
逃げない勇気をジェニーから貰った。

人は気に病む事によって体調が悪くなり自分の体の弱い所に症状として出る。
ダルデルヌ兄弟はそれを分かりやすく今作では描いていた。
私はよく罪悪感に苛まれていつまでもくよくよする事があるので今作はとても心に響いた。
疲れてくると自分の心の声を素直にすくい上げずまあいいかで済まそうとした事により起こった結果に今更ビクついても後の祭りだ。
その後悔によって若い頃より適当にやり過ごさなくなったもののあの時こうしていればと悩まない日はない。
忘れていても時々それが頭をもたげ私に囁く。
「 適当にするな。
この判断は正しいか?
その人の立場になれ。」
それを思い出させてくれた今作に出会えた事は調子に乗った自分への戒めであり宝だ。
淡々と進むジェニー役のアデル・エネルの抑えた演技に共感し魅了された。
映画館で観られて本当に良かった。

「息子のまなざし」「サンドラの週末」をかつて観たのだがきちんとレビュー出来ていない。
他にもたくさんの秀作があるが未見である。
御歳65歳と62歳のダルデルヌ兄弟にはこれから先も社会に一石を投じる考えさせる映画を取り続けてもらいたい。
未だ現役。
素晴らしい感性だ。
日常の判断の大切さを思い出させてくれた。
この映画に出会えた事に感謝。
panpie

panpie