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哭声 コクソンのsatoshiのネタバレレビュー・内容・結末

哭声 コクソン(2016年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

 國村準が裸で生肉を食うという事で話題(?)となっている韓国映画。予告から漂う陰惨な雰囲気と、「グロい」という評判から見るかどうか迷っていましたが、意を決して万全の体調で臨みました。ちなみに、初ナ・ホンジンです。

 実に恐ろしい映画でした。見ている間に何回も話の印象が変わります。最初は「セブン」のような猟奇的殺人事件を追う警察の話かと思っていたら、急に悪霊とか祈祷師が出てきて、「エクソシスト」のようになっていきます。かと思ったら、中盤で「ゾンビ」のような話になっていきます。話の軸だけでもゴチャゴチャですが、それに加えて、どんでん返しが繰り返し行われます。信用していた人間が信用できなくなり、逆に悪だと思っていた存在が善のように見えたりします。しかしそうかと思っていたら善は悪で・・といった感じで、もう頭の中がメチャクチャです。予告の「何が起きているのか。誰を信じればいいのか」がぴったりくる映画でした。

 話は非常に混沌としていますが、登場人物たちはどこかとぼけていて、笑えるシーンがかなりあります。主人公は殺人事件が起こっても朝ご飯を食べてから現場に行くボンクラですし、他にも、「雷に打たれたけど漢方薬を飲んでたから助かった」とか、「証拠を素手で掴むなよ~」とかですね。しかし、皆とぼけているが故に、映画全体を覆っている陰惨な雰囲気が、逃れられない圧倒的暴力性を持って登場人物に襲い掛かってくるように思えました。また、話の中で普通の人である主人公だけがブレないため、混沌さが際立っています。

 私は、本作は実にキリスト教的な隠喩を多く含んでいる作品だと思います。本作は、冒頭から『ルカによる福音書』の第24章、キリストの復活が引用されています。そして、その出来事をなぞった展開が映画内で起こるのです。それは終盤の展開で、國村準が車に轢かれて、生き返るシーンです。いったん死んだのに、また生き返る。まさにキリストのようです。そしてそれを発見するのが見習い神父です。彼の「お前は何だ?」という問いかけに、國村準は福音書の言葉を発します。そしてその腕には聖痕が。福音書通りの展開です。ここで、彼がキリストのような存在だと思いました。ただ、ここが上手いのは、彼を「悪魔」として捉えることも十分に可能という点です。「神よ」の台詞にしても、そう捉えることもできます。

 しかし、彼がキリストだとすると、何故、このような殺人を起こしているのかが疑問です。その理由に対し、ムミョンはこう答えます。「罪を犯したからだ」と。その言葉が本当だとすると、これは罪に対する罰だと考えることができます。突飛かもしれませんが、私はここで、「最後の審判」を連想しました。つまり、國村準は、罪を犯した人間を次々に抹殺していた?と解釈しました。

 また、祈祷師が「奴は釣り糸を垂らして餌がかかるのを待っているだけだ」と言っていますが、まさに冒頭で國村準が餌を付けた釣り糸を川に垂らしているのですね。

 次に、ムミョンについてですが、彼女は確かに犠牲者の持ち物を身に着けていました。しかしそれは、彼女がこれまでの犠牲者の霊で、村を護ろうとしていた、と解釈することもできます。私はそう解釈しました。

 最後に祈祷師ですが、胡散臭さたっぷりですね。彼だけはどうにもよく分かりませんでした。どう解釈してもうまく説明がつかないのです。ただ、彼も連続殺人に噛んでいることは明白だと思います。

 何とも勝手な解釈ですが、これが私の「この映画の見方」です。世界は個人の都合のいいように見えていると言いますが、本当にそうですね。

 この映画、このように混沌としていて、解釈は様々です。ナ・ホンジンも「解釈は観客に委ねる」と言っています。しかし確実に言えるのは、あの親子にとっては間違いなく悲劇だったという事です。ラストシーンで泣きそうになりました。こんな訳の分からない映画を見せてしまうナ・ホンジン。恐ろしい監督です。
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