ガンビー教授

スプリットのガンビー教授のネタバレレビュー・内容・結末

スプリット(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

文中で、ある現役の映画監督の名前を出し、シャマランと比較していますが、もう一人の監督について貶める意図はありません。彼のことは嫌いではありません。




顔をアップであまりにもかっちりと捉えすぎた画面が多いと、ああシャマラン映画を見ているな、という感じがする。

オープニングのクレジットデザインが、ソール・バスの手がけたヒッチコック映画みたいにスタイリッシュ。そう言えば、奇妙な「めまい」ショットから始まる作品でもある。そう言えば、通例となっているカメオ出演も、ほどよい脇役をちょっとした自虐的ユーモアで演じるに留まっていて、余裕を感じさせる。

シャマランの好きな映画は『鳥』らしい。ヒッチコックは主観ショットを多用した監督だったが、あれ以上に過剰に主観映像を入れてくるのもその影響かもしれない、と思わせる。ただ、シャマランはヒッチコックのように「映像で説明する」ことがうまい人ではない。映像ですべてを見せきるにはあまりに「説明的」な人ではないか。

「説明的」な監督で、クリストファー・ノーランという人がいる。この映画が『アンブレイカブル』同様、根底にアメコミのスピリットを隠し持っているという構造さえわかれば、この比較はそこまでとっぴなものでもないと分かるはずだと思う。背骨をへし折るというのもバットマンのベインだし、『アンブレイカブル』で悪役が捕まったあと放り込まれるのが刑務所ではなく精神病院であるというのも、いかにもバットマンを連想させる。

シャマランの「説明的」というのは、褒められたものではないかもしれないが、ノーランのそれに比べると、嘘を嘘として楽しもうとしているように思う。観客が理解できない説明を並べ立てて嘘を覆い隠してしまおうとするつまらなさは存在しない。「説明役」として精神科医の老女も登場するのだが、彼女が語るのは嘘を嘘として膨らませるような嘘である。「動物園の地下に怪人が潜んで暮らしている」「彼は分裂した人格を持っていて、ある人格が現れると筋肉隆々とした姿に変身する」「そのまま壁を筋力だけで這い上がったり、鉄格子をねじ曲げたりする」「十代の女の子をさらってきてむさぼり食う」といった、おおよそ合理的とはほど遠い奇怪なイメージ……この映画はそういう奇想を語ることが何よりも果たすべき目的であって、そこに本来「説明」が要るわけもない。

だから、これこそノーランには理解できないし、理解しようともしないであろう意味において、「漫画的」な表現ではないか、と思う。
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