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牝猫たちのemilyのレビュー・感想・評価

牝猫たち(2016年製作の映画)
4.3
5人の監督達が縛りの中で描くロマンポルノ・リブート・プロジェクト。今回は第三作目になります。池袋の町を舞台に、デリヘルで働く3人の女性達。シングルマザー、ネットカフェ難民、結婚してるが不妊の女性。男たちと体を重ね、時には一線を超える。都会の喧騒の中それぞれの心の孤独が交差し、その隙間を埋めるように体を重ねる。

 冒頭から夜のネオンの演出に魅せられる。夜の街のネオンの色彩がきらびやかに幻想的に浮かびあがり、送りの車の中でスマホを見てる女性のスマホを斜めにスタイリッシュに捉える。そこにある夜のネオンは確かに東京の夜の街であるが、こんなにも美しく、こんなにも色彩豊かであることを、そうしてそこにあふれる人と雑踏の中で、それぞれの孤独を埋めあう薄い人間関係の先に交差する人間の本来の姿を見る。微動するカメラが心情の不穏感や心の揺れを捉え、夜のネオンとともに心地よい浮遊感を作り出す。

 女性質と客、セックスがさみしさを埋める道具に使われ、しかしそれにより自分の孤独と空虚が浮き彫りになる。体を重ね、お客と一線を超える。そこに流れる愛までもいかない、微妙な感情が、自分自身の孤独と二人の立場にしっかり境界線を引いていくのだ。濡れ場は当然縛りの中で勃発するが、今作はそれよりも深い人間ドラマが皮肉にまじりあっている。善人が悪人になり、悪人の行為が思わぬ展開をもたらす。誰もが抱える闇が、夜のネオンの中でひりひりと剝がされていき、ほんの少し交じり合うことで、人のぬくもりを知ることで、孤独感がさらに上塗りされていく。

 女性たちもそうだが、彼女たちを取り巻く店長役の音尾琢真ととろサーモン村田の演技がなかなか良いスパイスになっている。店長の女の子とボーイと話すときの温度感の違いの大げさ感は、コミカルに浮き上がるが、その姿は非常にリアルな人の関わり方であるように思える。とろサーモンの漫才も少し見れるが、村田の女を見下したような口調と攻め方の際どさは女としては結構引き込まれる物があった。

 それでも日々は流れ、それでも夜の街のネオンの雑踏の中に溶けていく。どんどん足を突っ込んでいけばそこから抜け出せなくなる。そんなこと頭ではわかっていながら、結局どうしようも無いところまで来ないとなかなか人は気が付くことができない。そうして気づいたときには大体遅いのだ。

 わかっていながら繰り返す。それを悲観することなく。人生なんてこんなもんだよねと。またデリヘル嬢として同じ道をたどっていく。夜のネオンはさらに揺れ幻想的に煌びやかに包み込む。このネオンだけはずっと変わらず包み込んでくれる。しかしそれを見る自分が変われば、美しくも醜くも見えるだろう。今は優しく感じるネオンも、3年後には違う色に光るかもしれない。今はとりあえずキラキラしたネオンに包まれていることで、なんとか自分を保っているのだ。深くつながらなくても人がいるところにいれば、少しは孤独が埋まるから・・

 
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