足拭き猫

時代劇は死なず ちゃんばら美学考の足拭き猫のレビュー・感想・評価

3.8
悲しいかな、この作品の監督兼ガイド役である中島貞夫監督や取り上げられている伊藤大輔監督の映画、あるいは片岡千恵蔵や坂東妻三郎、嵐寛寿郎(アラカン)、勝新太郎といった時代劇スターの名前は聞いたことはあれど作品は観たことないし、時代劇あるいはちゃんばらと言えば大河ドラマか「暴れん坊将軍」くらいしか知らないのだけど、勉強になったし面白かった。
それぞれの映画スターの殺陣のふるまいに違いがあることがまず新鮮。いくつか並べられた映像や斬られ役の証言でもそれは感じた。また、黒澤時代劇(残酷時代劇)が同じ時代劇でも分けたジャンルとして認識されていることや、終戦から1951年のサンフランシスコ講和条約までGHQが仇討ちものやちゃんばら映画を禁止しており、あいまに作られたのが「羅生門」や「雨月物語」などの大映作品だったことも知らなかった。晴れて解禁になった後は、東映は「明るく楽しい東映映画」を目指していたのね。
1959年に時代劇映画を観た人はなんと11億人で、日本人1人が11回は映画館に行っている計算に。廃れた原因としてテレビの普及や、だんだんとアメリカ的な価値が入ってきたこと、古い時代を知る人が少なくなったこと、ちゃんばら(殺陣)シーンがただ斬るだけの形式的なものになってしまったことなどが映画評論家によって語られてた。

斬られ役の役者が、自分たちがいないとちゃんばらが成り立たないというのは本当にそうで。また、斬るまでの心理描写や刀の先に現れる日本人の死生観や精神性、ひいてはなぜ斬るのか、その理由を描くことが大きなポイントという話には頷くことしきり。アメリカのヒーロー映画では戦うまでの物語が大いに語られるゆえに支持されるが、時代劇の場合はその点が軽視されてきたのが弱みなのかも。しかしこの作品公開の2015年以降でも時代劇はますます遠いものになってしまっているので根本的な問題は解決していなさそう。冒頭で紹介されている牧野省三の「1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ」のスジに返っていくのだなと思った。

役者の殺陣の型の違いを紹介する時間がもう少しあればさらに興味深かったが、そうすると85分に収まらないので別の機会に比較できたら。ラスト、中島貞夫監督がこの作品のために取った理想の殺陣シーンもあり。