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羊の木のRAYのレビュー・感想・評価

羊の木(2018年製作の映画)
3.6
“羊の意味”


非常に難しい映画だと思いました。
解釈はもちろんなのですが、扱ったテーマ自体が難しかった。
理解出来ないということではなく、“罪を犯した者を受け入れる”ということが、自分自身にはスッと入ってくる内容ではなかったと言うのが正直なところです。
それでも、とても考えさせられる映画であったのは間違いなくて、そこのところについて書きたいと思います。


僕は最初、“羊の木”というタイトルにばかり気になってしまって、羊の木ってなんだろう?という疑問からこの映画に入ってしまいました。
ただ、今にして思っているのは、このことも監督の“狙い”であったのかもしれないと言うことです。
どういうことか?
それは、本質を見ることの重要性です。
重要なのは、“羊の木とは何か”ではなくて、“どうして羊なのか”という事なのではないかと今では考えています。

羊は、世界で色んな意味を持って使われています。
たとえば、羊と山羊は善と悪の象徴として扱われているそうです。
他にも、再生の象徴としての羊であったりと幾つかの意味を持っているそうです。


人を見かけで判断してはいけないのは当然なのだと思います。
偏見・思い込み、こう言ったことが悲劇を生み出すことも多々ある。
それでも、“罪を犯した者”を。中でも、“人を殺めるという罪を犯した者”を理解するという事は容易なことではないと思います。

だけど、『JOKER』や『楽園』でも、それだけで片付けることが出来るのだろうかと疑問を持たざるを得ない人が描かれてきた様に、やはり、理解しようともせずに、受け入れないと言うのはしてはいけないことなのかもしれません。


そして、もうひとつ気付いたことがあります。
僕らは視聴者なので、たとえばこの映画に対して客観的に観てしまう訳ですが、罪を犯した者を受け入れるという点に関しても、同じ事なのではないかと思うのです。
つまり、観ている側の印象を変えるのは、観ている本人ではなくて、観せている人だと言うことです。

この映画は決して、罪を肯定している訳ではないし、罪を犯したものが必ず更生できると言うことを言っている訳ではなく、罪を犯した者が変わろうとする事でしか、何も変わらないと言うことを伝えたいのではないかと感じました。


冒頭の“羊の木”と言う言葉に対する先入観もそうでしたが、“主観と客観”と言う、人を知る上で、ひいては自分を知る上で重要な要素を使って、視聴者に気付きを与えているのかもしれません。

評価は高くない様ですが、僕は観て良かったと思っています。
あまり書きませんでしたが、映画の雰囲気も凄く良かったと思います(このことがミステリーだとかを期待してご覧になられた方の期待を裏切ってしまう要因になったのかもしれないとも思います)。
もし、まだご覧になられていない方がいらっしゃれば記させて頂いた様な視点で観て頂くと、少し違った映画として観て頂けるかもしれません。


長くなってしまい申し訳ありません。
読んで下さって本当にありがとうございました。
RAY

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