穂苅太郎

太陽の塔の穂苅太郎のレビュー・感想・評価

太陽の塔(2018年製作の映画)
3.5
太陽の塔起点の評論集といったところ。
以前見た NHKのドキュメンタリーでは岡本太郎本人と太陽の塔の建造に至るまでの軌跡をNHKらしい緻密さで見せてくれた。
当然本作はこれのさらに深く掘ったものと思いきや、むしろ岡本太郎から始まる芸術論文化論社会論、果てはこれはこじつけだろうと言うしかないぐらいの南方熊楠引っ張り出してきて論じていた。

なかなか興味深く面白くあったのだが、結局のところ監督や製作者が言及したかったところ、つまり戦争や3.11を経て、人類はいかに“本質的”な進歩と調和を得ているかという、岡本太郎が太陽の塔に込めたであろうメッセージの現代的な反芻だったはず。

それを全て評論という言葉で伝えていくという方法が実は非常に映画的ではない。それは活字の領分だろう。
むしろ太陽の塔の製作過程と岡本太郎作品を掘り下げていくことでより強く感じ取らさせるという、それが映画ではないのか。

これは偏論かもしれないが、この映画での表現法が何より“岡本太郎的”でないように思うのだ。

大阪吹田市出身の家内は、太陽の塔が残ったのは吹田市民の熱心な保存運動によるところが大きいという。
この映画では柔らかく糾弾されていた愚かな民衆たちが、その時は一時的な感情によるミーハーな保存運動だったとしても、このエピソードはこの映画のアンチテーゼとして、十分強烈に働くのではないか。

各評論の論点自体は肯定できるものばかりであるが、それを太陽の塔や岡本太郎に絡めなくてもいいんじゃねえの。ということだ。メッセージには頷くが映画である意味はない。
穂苅太郎

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