雷電五郎

仁光の受難の雷電五郎のネタバレレビュー・内容・結末

仁光の受難(2016年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

なんの因果か、女性を無差別に淫欲へ誘う苦悩の僧侶・仁光の話です。

大人の日本昔話といった雰囲気。仁光の中にある信仰と欲望がせめぎ合う描写に曼荼羅や浮世絵を使うことで仁光の激しい葛藤がヒシヒシと伝わってきます。
彼のモテ方は最早異常で、通りすがりの旅籠ですら女性が前をはだけて仁光を執拗に閨へと引きずり込もうとします。

師である和尚は「自分の欲望を認めて向き合うことで受難を超えられる。認めず向き合おうとしなければいつまでも苦しむことになる」と助言しますが、潔癖な仁光はどうしても自分の中の淫蕩を認めません。

それがいかにアンモラルで認めがたいものでも、人間の欲望は確かに本人の一部であり切り捨てようとしても身内から自然に湧いてくるものは消えようがないのです。
欲を持つ自分を認め、欲を抱く弱さを受け入れ、己を許し律することが信仰であるとするならば、仁光の選んだ道は真逆ということになります。

ラスト、山女との対峙は仁光が結局、信仰の道に戻れなかったととるべきなのでしょう。70分という短い作品ですが、雨月物語のような雰囲気をかもしだす映画で楽しめました。

が、女性の胸がたくさん出てくるので一見キワモノ作品にも見えてしまう向きはあります。

欲望とは人間であることの象徴で、これと向き合わなければこれを超えることはできません。仁光は欲を認めず、自分の弱さと向き合わず、最後には欲に飲まれてしまった。欲に飲まれ我を失った人間に待っているのは破滅です。
仁光は人間として破滅し、妖となったととれる最後は正にお伽話でした。無常感がまたよかったです。
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