武倉悠樹

THE NET 網に囚われた男の武倉悠樹のレビュー・感想・評価

THE NET 網に囚われた男(2016年製作の映画)
4.0
 パッケージでてっきり漂流モノか何かだと思っていたが、全然違う、かなり重たいドラマだった。
 主人公ナム・チョルは北朝鮮で慎ましく漁を営み、妻一人、娘一人を養う一漁民。ある日エンジンの故障と潮の流れによって39度線を越えてしまい韓国(北朝鮮からは南朝鮮と言う呼ばれ方もしているのだと初めて知ったが)に漂着してしまう。
 南北の緊張関係を当然知ってはいたナム・チョルであったが、故意で無い事から、事情を説明すればすぐに北朝鮮に返してもらえるだろうと思っていた。北に戻れた時に、余計な事を聞かれず、言わずに済む様、何も見聞きしないよう堅く眼を閉じ、事情聴取に応じようとするが、南北の間の線、溝は彼が思うより遥かに深く強く刻まれており、その分断は彼の心にも襲い掛かる。

 南北問題の根深さやその在り方を、隣国でもあり影響を受けているとは言え、日本では、知らないこと、理解できていなかったこと、沢山あるのだなぁと改めて思わせられた。

 漂流を経て流れ着いた彼を待ち受けていたのは、救助ではなく保護と言う名の実質逮捕であった。韓国内にある北朝鮮への諜報、および北朝鮮からの防諜を取り締まる当局に身柄を拘束されたのは「北のスパイ」であると言う嫌疑があるから。
 しかし彼を待っているのは「北のスパイに違いない」と言う予断から来る拷問まがいの尋問であり、それがエスカレートしていった帰結である「今はスパイでは無くても、いつか韓国に害をなす存在になるに決まっている」と言う偏見からの暴力だ。そして、スパイである証拠が掴めないのであれば、祖国と家族を捨て亡命を知ろと言う脅迫まがいの圧力。

 彼は何度も訴える。事故であった。祖国への想いはあるが、諜報活動など自分はしない。ただただ、心配しているであろう家族の待つ家へ帰りたいだけなのだと。

 暴力的な取り締まりを続ける捜査官はひたすら嫌な奴に映るが、その妄執的な正義感ももとは素朴なナショナリズムだったのだろうし、それを「北の人間なんかみんな殺しちまえばいい」とまで言わせた構造こそが真の南北問題なんだろう。北朝鮮の漂流民ナム・チョルも、スパイと決めてかかり暴力を厭わない捜査官も、それを諫めナム・チョルを人間的に扱うべきだと言う良心に基づいて提言をする若手捜査官も、皆一人の人間である。各々の事情があり、各々が真っ当だと思える生き方をしたいだけなのに、強く刻まれた線は、彼らを友と敵とへ無慈悲に分断していく。
 
 辛い取り調べ。同じルーツを持つ人同士が猜疑心に苛まれ傷つけあう国家と言う枠組みの中で個々人がすり潰されていく。そんな境遇をすら、ただひたすら祖国の家族を想い耐え抜いたナム・チョルを待っていたのは、送還、そして、今度は祖国から向けられる韓国で受けたのと同じ仕打ちだった。なぜ、船を捨て泳いででも戻ってこなかったのか。向こうで何を見聞きしたのか。従軍時代の事をどこまで喋ったのか。

 精神的苦痛と尋問を兼ねる、自らの来歴や該当期間に何があったか事細かにひたすら書かせると言うその手法が南北で同じものであると言う所に皮肉さがよく表れている。そして、その皮肉さがおそらく、一人の個人の尊厳を共に蔑ろにする南北の溝が及ぼすナム・チョルの心の崩壊の最後の引き金になったのだろう。

 大岡越前の裁きに、母親二人が一人の子を「我が子」だと主張しあう逸話があり、真の母親こそが子供の痛みを想い手を離すとあるが、これも似たような構図に思えた。共に「スパイ」であると嫌疑をかけ、一人の男の心を南北真っ二つに引き裂いてしまう。

 話をして、心を通わせた、ナム・チョルと若い捜査官が交わした約束。「統一後にまた会おう」がとても印象的だった。
武倉悠樹

武倉悠樹