お湯

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のお湯のレビュー・感想・評価

1.1

「もしも、打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?をシャフトがアニメ化したら……」

書きながら、自分は性格が悪いな、と思った。ただの比較でしかないので、ごめんなさい。先に謝っときます。ごめんなさい。

あくまでも、原作ファンの愚痴として。


映像や構図はとても綺麗でした。ロケーションも最高。音楽も本当に惹かれる。ダイナミックで映画だなと思いました。


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原作放送時代を知らない原作ドラマファンの若者です。下ネタについて色々言うので念のため、性別は女性です。
アニメ化が決定された時は、あまりそれに抵抗はなく、むしろ同じ世代の人やそれより若い人達にこの原作を知ってもらえるのだと思い、嬉しく思っていました。
川村元気・大根仁が名を連ねる制作陣も、それを狙ってアニメ化したのだと、勝手に私は思っていました。

あまり、映画に色々と悪いことを言うのは好きではないですが、この映画に限っては様々な人々を裏切るようなものなので、かきたい。


〇まず、原作とまるっきりテーマが違う。

挿入歌である「Forever Friends」は、歌詞の「hold me like a friend,kiss me like a friend」やタイトルを見ればわかるように、彼らはいつまでも友達なのだ。
永遠に友達だ、というのは、「離れても友達だ」「恋人にはならない、友達だから」という陰と陽、両方を示している。その関係が、私はとっても好きだった。
しかし今作は、恋人のように抱擁を交わし、恋人のようにキスをする。生々しい。浅いよ。中学生だよ。
妄想なんだろうが……。
それは頭の中でさせてよ。


〇打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?今作は……

打ち上げ花火は、原作では典道にとってのなずなである。下から見るか?横から見るか?どこから見ても同じ形をしているが、何か違うのだ。それはなずなにとっても同じ。花火を見るのに、典道を選ぼうが、祐介を選ぼうが、結果的には家に帰るのだ。でも全く同じだとはいえない。もちろん、典道にとっても、なずなを見上げるのか、並ぶのか、きっと何も変わらないようで、何か違う。有り得た未来が二つあり、なずなの選択肢が二つあること。この二つの「~か?~か?」がタイトルと掛け合わせて重要な要素なのだ。今作は、打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?は、男子中学生のくだらない会話の一つにしかすぎず、物語の発端であるだけである。もしも、がありすぎた。情緒がないとおもってしまった。

作品を通して、頭の中で考えるキスや抱擁を、可視化されてしまった。見えないものほど美しいのに。




〇下ネタの履き違え
これこそがシャフトなんだと言われたが……。うん、もしも岩井俊二のエロと、シャフトのエロが同じだと思って、こうしているのならば、原作への侮辱でしかない。
原作でも、なずなは色っぽいし、先生だって色っぽい。でも、あんなに胸を揺らしたり、谷間を見せたり、生徒達に卑猥な言葉を言われない。なずなは全男の子の憧れであり、手の届かない高嶺の花なのだ。
なずなの着替えるシーンや下着姿は心の奥では見たいと思うのだけど、見てしまえばなずなはなずなではなくなる。無理矢理に作ったお色気シーンが不快でしかない。

そして、原作にはある、灯台からの小便、と教室での男子生徒たちのちょっとした自分たちの体に対するからかい。これが無い。これを入れろよ!って言ってるわけではないけれど、むしろ入れなくてもいいが、女の裸だけを強調して、男の裸に感することを消し去る?なんなんでしょうね。恐ろしいよ。
女ばっかりに恥ずかしい思いをさせる。


原作の官能的魅力は、隠されたもの秘められたものである。なずなの体を歩く蟻、壁一つ向こうで着替えるなずなの服を受け取る典道、夜のプールで洋服のまま遊ぶ2人。今作のような、あからさまなエロではない。卑猥。不快。

新しく発売された岩井俊二著作本の「少年たちは花火を横から見たかった」にあるように、少し背の高い大人びた男子生徒たちが、先生にセクハラをすると、なぜだか本当にそれっぽく見えてしまうのだ。
小学生であることに意味がある。もはやそこからであるようだ。

先生へのセクハラのシーンを、どのように現代ぽくアレンジするのかと思ったら、(もしやなくなるのでは?とも思っていたが)ひどくなってた。どういうこっちゃ。
かわいそうだなあ。



〇なずなの歌唱シーン
なずならしさが出ていて良かった。アニメファンであるらしい人が、「あの妄想はいらない」と言っていて苦笑いしていたけれど……。見た目が大人ななずなが、いかにも子供らしい妄想を含まらせることに、驚き涙した。
でもやっぱり見えないものを見せるのは、あまりにも説明的すぎる。
広瀬すずのなずなは、空気感はそのままに、オリジナリティもあり、良かった。
切なさ、儚さ、幼さ、大人っぽさ、妖艶さ。
はじめっから16歳に見えるけど。




〇宣伝
誰に見せたかったのだろう?

原作ファン?アニメファン?声優ファン?菅田ファン?すずファン?

それぞれの世界で最強と呼ばれる人たちを掛け合わせたら、めちゃくちゃ相性悪くて大爆死!みたいな感じです。
良さを消してしまっているよ。
シャフトの美学?と岩井美学?は合わない。ファンタジーと色気、言葉は同じでも全く違うよ。打ち上げ花火みたいだ。同じ形だけど全く違う。


原作のテーマを破壊しているため、原作ファンは取り込めない。
アニメ的にも3DCGが馴染んでないため、アニメファンは取り込めない。
豪華声優陣が囲む主役は、プロではない2人であるため、声優ファンも取り込めない。
菅田将暉も、ボソボソと喋るのはこの役っぽいが、なぜかなんだか役にあってないような気がする。演技はめちゃくちゃ好きだが、声優に向いてないのかもしれない。

広瀬すずも声があっているが、これに呼び込まれた女子高生は、あんな下ネタ見て楽しいのか?男性はそれぞれだろうが。




それぞれ熱狂的ファンも多いターゲット。絞り込めず、どれも中途半端になった印象。それぞれがそれぞれを許せず、ぶつかりあって駄作となってしまっているような気がしてしまいました。みんなの逆鱗に触れた感じ。
それぞれ「なんとなく気になるけど……」程度の呼び込みにしかならず、動員も増やせていない。

原作ファンとしては。原作ファンとしては……。
せっかく東宝でこんなに豪華にやるのだったら、岩井美学に共感している新海誠を起用したら激激大ヒットだったし、それぞれ大満足だっただろうな、と遠くを見つめてため息はいてます。


追記:
こんだけ原作に寄り添う気が無いのなら、「観月ありさ~」のところ、「広瀬すず~」にして、面白くして欲しかったよ。
「こうしてりゃ岩井信者は満足だろうよお!!!」っていう、後付け感満載。
センス皆無。それくらいリメイク特権でしょうに。観月ありさが出てるならいいですが。


普通に原作なしとして見たら、まだもう少し評価は高いです。だが、触れてはいけないゾーンに触れてしまった製作者たち。
各ターゲットの怒りを呼びおこし、極端に低い評価を付けられている。レビュー重視の映画館来場者は、この作品にもう足を向けることはないだろう。完全なる大誤算。
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