ヤマノヒ

夜は短し歩けよ乙女のヤマノヒのレビュー・感想・評価

夜は短し歩けよ乙女(2017年製作の映画)
5.0
 7年間待った。7年間あればピカピカのランドセルを背負った小学1年生は、中学校へと進学している。
 テレビアニメ『四畳半神話大系』を観ていた当時・高校3年生であった私は、大学受験、就職活動等を経て、いつの間にか社会人になっていた。7年の間に様々なことがあった。楽しいこともあれば、辛いこともあった。

 アニメ『四畳半神話大系』は私の人格形成に大いに影響している。この捻じれて拗れてひねくれた、まさに実写版「私」とも言わんばかりの性格になってしまった一因…というか最大の要因は『四畳半神話大系』である。

 そんな私の血肉と化している『四畳半神話大系』のアニメ化を手掛けたスタッフが、7年の時を経て再集結したのだ!しかも森見登美彦の「箱入り娘」ともいうべき代表作・『夜は短し歩けよ乙女』で!!
 なんという興奮!なんという感動!この時をずっと待っていた!ずっとずっと待っていたのだ!!

 ドキドキとワクワクとちょっぴりの不安の中、映画館へと足を運んだ。テンションが上がりすぎて、チケット売り場で「四畳半神話大系、1枚ください!」と叫ぶという恥をかいた。
 そうして気が付いた時には、いつの間にかエンドロールが3回流れていた。そして思った。「7年間待って良かった!!!ありがとう宇宙!!!!」と。

 同じ映画をスクリーンで3回も観たのは、人生で初めてである。
 芝居や漫才、バンドの演奏などのナマモノならば、同じステージに何度も足を運んでもおかしくはない。その日によって微妙に間合いが異なったり、MCが異なったりするからだ。
 しかし映画は違う。全部一緒、1ミリの差異もないのである。

 「同じ映画を何回も繰り返し観るなんて変だ!」、「お金が勿体ない」、「円盤化されるまで待ったら?」…ごもっともだ。言い返す余地はない。
 しかし私はテレビを見ながら、スマートフォンを弄りながら、車を運転しながら、食器を洗いながら、「次はいつ『夜は短し歩けよ乙女』を観に行こうかなあ」と考えてしまうのである。

 最早これは合法的な薬物である。浴びるように、常に、『夜は短し歩けよ乙女』を摂取していたい。
 むろん、家のちっちゃなテレビ画面ではなく、映画館の大きな大きなスクリーンで、である。

 最近の悩みは「『夜は短し歩けよ乙女』は何がそんなにいいの?」と訊かれても、モゴモゴと口ごもってしまうことである。ガルパンおじさんよろしく、「『夜は短し歩けよ乙女』はいいぞ」としか言いようがないのである。『夜は短し歩けよ乙女』はいいぞ!

 はじめは、私が根っからの四畳半主義者であるからだと思っていた。四畳半主義者の私が、監督・湯浅正明を、脚本・上田誠(岸田國士戯曲賞受賞おめでとうございます!)を、キャラクターデザイン・中村佑介を、音楽・大島ミチルを、歓迎しないはずがないからだと…そう思っていた。
 信者だからだと思っていた。しかし、観れば観るほど「信者だから」という言葉で片付けてはいけない気がしてきた。

 前置きが長くなった。

 以下に、『夜は短し歩けよ乙女』のここがいいぞというポイントを羅列していこうと思う。読後の感想は「信者乙」、または「また阿呆なものを書きましたね」で構わない。
 もしもこの文章を読んでその全てに同意してくれる人がいるとするならば、今すぐにLINEのIDを交換したい。
 もしもこの文章を読んで映画館へ行ってみようと思ってくれる人がいるならば、たとえ北海道だろうが沖縄だろうが同席し、感想戦を申し出たい。とにかく、『夜は短し歩けよ乙女』はいいぞ。

▽星野源がいいぞ

 「先輩役を星野源が演じる」と知った時には、「終わった…まだ公開していないけれど、この映画は終わった…」と思った。5年前に星野源を起用するならまだしも、今、恋ダンスで社会現象を巻き起こした時代の寵児・星野源を起用するなんて!「大衆に迎合するのか?映画は断じて商業主義に毒されてはならぬ!!」と怒りで震えた。

 結論から言うと、星野源に土下座をして謝らなければならない。星野、お前はよくやった。ありがとう星野源。彼は忙しい中、全力でこの作品に向き合ってくれた。最初は声優ではない彼の滑舌が気になったが、最後には「味があって良い!」と思うに至った。膨大なセリフに苦しめられただろうに、本当に良い仕事をしてくれた。

 しかも「源さんが出ているから観に行ってみたい!」という新しい顧客の獲得にもつながっている。上映後、「源さんの声、最高!」という若い女の子の声が必ず聞こえる。若い女の子たちよ、わざわざ映画館まで来てくれて、エンドロールもしっかり観てくれて…!ありがとう!!

▽乙女がいいぞ

 花澤香菜の声が可愛い。可愛いだけでなく、凛として芯があり、品のある乙女に仕上がっている。
 『四畳半神話大系』の明石さんよりも少しポップな声質なのも良い。

 春パートの序盤で、汽車の動きを真似るのが大変素晴らしい。この物語は「ラ・タ・タ・タム」という汽車の絵本がキーポイントになっている。乙女自身もまた、ラ・タ・タ・タムそのものだったのである。春パートで乙女が汽車の真似をすることにより、冬パートでの李白さんのセリフが際立つというものだ。

 乙女はまさしく「純粋無垢な黒髪の乙女」である。乙女は、飲食の作法こそ美しいが、歩き方はズンズンと大股で少年のよう。そのギャップも魅力的だ。

 この物語の時間軸は「1年間の夜」であるが、乙女だけはその1年を1夜にして渡り歩いてしまう。春から夏、秋、そして冬に移行する際の彼女のファッションにも目が離せない。

▽パンツ総番長がいいぞ

 私はこの作品の中で、パンツ総番長が一番好きだ。だって救いようのない阿呆で、そしてめちゃくちゃ格好良いではないか!なんという行動力と情熱!そして韋駄天炬燵での彼なりのマナーからは、他人を慮ることができる優しさが窺える。
 ビバ・ロマンティック!!彼のような人間に、私もなりたい!!

 パンツ総番長を演じるロバート秋山の演技・歌唱が上手すぎるのもポイントだ。言われなけれ秋山だとは気が付かないであろう。上手すぎて笑ってしまうくらいに上手いのだ。CDを販売してもらいたい。

 パンツ総番長の一番の見どころはやはり、文化祭での劇中劇だろう。これをミュージカルにしたことで、映画全体にメリハリが出ている。そして何より、パンツ総番長の魅力が際立った。劇中劇の内容は原作から改変があり賛否があるらしい。しかし私としては、笑いどころが増えて大歓迎である。

▽学園祭事務局長がいいぞ

 神谷浩史のファンは絶対にこの映画を観た方が…いや、聴いた方がいい。学園祭事務局長の声は、格好良すぎて可愛すぎる!
 個人的に一番好きなセリフは「つーかまーえた!」。

 彼のテーマ曲は電子的な音楽になっており、他の曲とは一線を画している。テーマ曲が流れる中を、早口で捲し立てる学園祭事務局長に心が躍る。脚を組み、髪を掻き上げる姿は麗しい。
 中村佑介は女性のキャラクターデザインを得意とする印象だったが、中村、イケメンを描くのも上手いではないか!

 そして彼の最大の見せ場も、パンツ総番長と同じく秋パート。その動きがめちゃくちゃ可愛い!もう、めちゃくちゃ可愛いのだ!!
 秋パートでの学園祭事務局長は、乙女以上にヒロインだったかもしれない(いや、秋パートにはもう一人重要なヒロインがいるが…!)。

 とにかくめちゃくちゃ可愛いので、まだ映画館に行っていない神谷浩史ファンは、早く行くように。

▽四畳半神話大系のメンバーがいいぞ

 『夜は短し歩けよ乙女』は『四畳半神話大系』の主人公である「私」と、ヒロインである明石さんのいないパラレルワールド。
 そんな中『四畳半神話大系』から登場するのは、主に①羽貫さん②樋口さん③城ヶ崎(ニセモノだが)④小津にそっくりな古本市の神様。

 ①羽貫さんの春パートのイキイキっぷりは、観ていて痛快だ。彼女の「レッツゴー!」の掛け声と音楽のタイミングがピッタリで、先斗町のワクワク感を増幅させている。
 夏パート以降のしおらしい姿もグッとくる。羽貫さんは『四畳半神話大系』、『夜は短し歩けよ乙女』の両作品の中で一番「オンナ」な役回りだ。
 セクシーな女性が好きな人は、羽貫さんにゾッコンになること間違いなし。

 ②樋口さんは、『四畳半神話大系』では藤原啓治が演じていたが、今回は中井和哉。正直、どうなるかと不安だった。しかし蓋を開けてみたら、中井なりの樋口さんが完成しており、全く違和感はなかった。
 「私」と明石さんのいない世界の樋口さんは、こんな声かもしれないなと思いを馳せることができた。中井は役作りに苦労しただろうから、願わくば「四畳半主義者も納得の好演でしたよ」と声を掛けたいものだ。

 ③城ヶ崎を真似た男子大学生「ニセ城ヶ崎」は極めて愉快である。『四畳半神話大系』で城ヶ崎を演じた諏訪部順一が引き続き演じているのだが、セルフパロディされた城ヶ崎は、なんとも間抜けで情けなくて、愛しい。
 「キャオリー!(香織)」と泣き叫ぶニセ城ヶ崎の奥に、失墜した本物の城ヶ崎がいると思うと切ない気持ちになる。城ヶ崎と、その彼女である香織さんに幸せが訪れるよう祈ってやまない。

 ④小津そっくりの古本市の神様は、相も変わらず憎たらしく、トラブルメーカー。夏パートにしか出てこないが、長いセリフのインパクトは非常に大きく、この作品の1つのテーマである「つながり」を、彼からだけでも味わうことができるほどだ。

 ちなみに、『四畳半神話大系』からは私の大好きな猫ラーメンの店主もこっそり登場しているので、『四畳半神話大系』のファンの人には探してみてもらいたい。

▽背景がいいぞ

 『夜は短し歩けよ乙女』というタイトル通り、基本的には夜の場面ばかりが続くこの映画。しかし暗すぎず、しかし明るすぎない。遠近法が滅茶苦茶だったり、京都の街が誇張して描かれていたりして、観ている者を飽きさせない。
 そこから一転、写実的なカットを用いる場面もあり、ハッとされる。進々堂の背景の美しさは、何度観ても感動してしまう。

 また、遊び心にも溢れている。古本市の大量の本の中には、森見登美彦の作品タイトルが沢山出ている。『四畳半神話大系』のキーワードやキーアイテムも多数出現。コマ送りにして1つずつ小ネタを確かめたくて仕方がない。

▽現代感がいいぞ

 原作が店頭に並んだのは約10年も前。原作発表からこの映画の公開までに、様々な技術が進歩した。

 学園祭事務局の副長はセグウェイで移動するし、パンツ総番長はSNSを駆使してゲリラ演劇を敢行する。
 ある場面ではドローンも飛ぶ(ドローンと言えば脚本を担当する上田が率いるヨーロッパ企画の『来てけつかるべき新世界』なので、この演出は感涙モノだった)。

 まさに「2017年版・『夜は短し歩けよ乙女』」なのである。今、この時代でしか描けない『夜は短し歩けよ乙女』が、そこはあった。

▽アニメならではの演出がいいぞ

 実はこの『夜は短し歩けよ乙女』、映画化の話が来ては頓挫するということを繰り返している。本作の公式ガイドブックに寄ると、上田のところにだけでも5回は脚本のオファーが来ていたそうだ。
 中には、「アニメではなく実写で」という企画もあったらしい。

 アニメでよかった。

 監督である湯浅は、比喩表現を巧みに操る。時には直喩で、時には暗喩で、観る者に訴えかける。

 上に書いた「乙女と汽車を重ねる描写」は、実写であればただの電波少女になりかねない。
 また、「海水がラムであれば良い」と乙女が妄想するシーンでは、実際にラムの海で海水浴をする乙女が登場。これも、実写では不可能である。

 こんな具合に、湯浅はアニメならではのメタファーを多数織り交ぜて物語を進めていく。
 しかし、「これはなんの比喩なんだ?」といちいち足を止めて考えていてはいけない。なんとなく感じるままに、本能のままに映画に身を任せれば良いのだ。

 いちいち立ち止まっていては、歩き続ける乙女に置いていかれてしまうぞ!

 「分かる人にだけ分かる」という前衛的な姿勢は嫌いではない。というかむしろ心地よい…なんて書いている私も、実際のところなにも分かってはいないのかもしれないが。

▽メッセージ性がないのがいいぞ

 この映画にはそれほどのメッセージ性はない…と書いたら語弊があるかもしれないが、ずっしり濃厚なテーマがあるわけではない。一応テーマはあるにはあるが、それほど重要視されていない。

 乙女が様々な世界を歩き、様々な人に出会うだけの話なのだ。

 「人と人との絆」、「恋愛の美しさ」、「出会いへの感謝」等、様々なアプローチの方法があったはずだ。しかしそれらは全て蔑ろにされ、乙女の歩みにばかり焦点が当てられる。

 清々しい!!

 前述した湯浅流アニメ演出という名の暴力を、一身に浴びるのがこの映画の醍醐味なのだ。頭を空っぽにして、浴びるように観るのがオススメだ。

 歩みを止めずに、浴びるように観た後、家に帰ってじっくりと「そういえば、あれはどういうことだったんだ」と咀嚼し直すのが楽しい。そして「ああ、そういうことか!」と腑に落ちたら、ついつい映画館へ確認作業をしに行ってしまう。私はこの無限ループに陥ってしまったのだ。

▽まだまだいいぞ

 単純に作画が綺麗であるとか、音楽が美しいとか、セリフ回しが軽快だとか、原作との比較であるとか、楽しいところはまだまだ沢山ある。挙げればきりがない。
 
 発声可能上映会を開いて、紀子さんの恋を応援したいし、東堂に盛大なブーイングを浴びせたい。

 とにかく、観たら元気になれる映画なのだ。『四畳半神話大系』のスタッフの大ファンである私は、このメンバーで『夜は短し歩けよ乙女』が映画化できた奇跡に感謝するし、「7年間、生きてきてよかった」とも、「私の7年間は、このためにあったのね!」とさえも思う。

 この記事を書いていて、私は明日、もう一度この映画を観たくなってしまった!
ヤマノヒ

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