Bluegene

アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダルのBluegeneのレビュー・感想・評価

4.0
ナンシー・ケリガン襲撃事件。古くからのフィギュアスケート・ファンには忘れられない事件だろう。疑惑の渦中のトーニャ・ハーディングが、泣きながら審判団にスケート靴を見せたリレハンメル五輪のフリー演技もはっきり覚えている。

映画は「現在」のトーニャと当時の関係者のインタビューで始まり、回想の合間に「現在」に戻る構成になっている。回想シーンで「第四の壁」を破って観客に語りかけることが、我々が見ているのがあくまで「現在」の人格が信じている主観的な意見であると強調する。したがって、あの襲撃が本当にショーンの暴走だったのか、ジェフの指示だったのか、トーニャは本当に知らなかったのか、真実はわからない。

この映画が描いているのは、4歳の時にスケートを始めたトーニャが、「毒親」ラヴォーナとの確執に苦しみ、ホワイト・トラッシュと嘲られながら死に物狂いで上りつめた高みからいとも簡単に転落し、世間の笑い者になった、その哀れさだ。本当にあの襲撃事件はあまりにもお粗末で、彼女の人生はできの悪いギャグになってしまった。その才能は間違いないものだったのに。

もっとも印象深いのは母親のラヴォーナだ。強烈な上昇志向を持ちながら環境がその使い道を与えなかったために、ウェイトレスとして日銭を稼ぐシングルマザー。娘の才能を発見したとき、トーニャは彼女が世間を見返す手段となった。発奮させるためといって容赦なく娘を罵倒し、クズ扱いして支配する。こうして育てられたトーニャは自尊心が低く、お約束のようにDV男と結婚する。

マスコミに追い回されるトーニャの元に現れたとき、ラヴォーナは初めて娘を認める言葉をかける。だがそれは、彼女から決定的な告白を引き出すためだった。「こんな毒親にも一片の情が残っていたのか…」とちょっとウルッとした後に、それもまた嘘だったと知って冷水を浴びせられた気分になった。

私はトーニャ・ハーディングという選手が好きではなかった。フィギュアスケートは速く走るとか高く跳べばいいわけではなく、容姿端麗で芸術性が高くなければ評価されない競技だ。トーニャはその基準から外れた選手だったし、私は何の疑問もなく、ああいう「品位のない選手」よりも、例えばバレエを基礎から叩き込まれ優雅な演技をするロシア選手の方が上だと思っていた。

この映画には、トーニャが自分で衣装を作るシーンがある。彼女が思いつく精一杯の「ハイクラス」な衣装はお世辞にも彼女の意図通りとはいえない。それを見ているうちに、私は彼女に申し訳ない気持ちになった。なぜ彼女は、もっと自分らしい衣装で滑ることができなかったのだろう。なぜ私は、躊躇なく彼女を序列の下に置いたのだろう。「こうあるべき」という規範を押しつけ、最後には彼女を笑い者にした「世間」に紛れもなく自分が加担していたこと。遠い日本にいた私でさえ、トーニャを abuse する側にいたこと。この映画は私にそんな苦々しい真実を突きつけた。
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