次男

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーの次男のレビュー・感想・評価

4.6
「宇宙から見たらさ、俺らの悩みなんてちっぽけなもんじゃん?」なんて励まされても、天邪鬼な僕は「そうだね…元気でた、ありがと」とはいかない。宇宙から見たら悩みどころか僕や僕の活動そのものがクソのゴミで、僕が執心したりこだわったりしてる感情や行動に何の意味があるのかと途方も無い気になる。「なんのために生きてどこへ行くのか」とか言い出すとなにそれ哲学?だけど、けっこう日常の真横にある大いなる疑問だと思う。なんで知能だけじゃなくて感情まで備わせたんだろうか。しかも、ギリギリでこの仕組みに盲目になれるくらいのバランスで。



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ネタバレ
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ちょっとこんな映画観たことないから動揺がすごいけど、僕は、仕組みというマクロの中での、個人というミクロの話、だと受け取った。


劇中、脇汗おじさんがビール片手に話してたみたいに、恒久的なものなんて無くて、すべてはマクロ規模で四捨五入すると無価値なゼロかもしれない。聞いてて秀逸な例えだなーって思っちゃったけど、地面に指突っ込むのと誰かとファックするのは何も変わらない。

まあそれはさ。それはそうかもしんないし、体感としてもそうなんだけど。はいそうですかじゃあ地面にファックしまーすってわけにはいかないじゃんすか。宇宙とかの規模も大変だと思うけど、こっちだって。


愛とかに限らなくても、もしなにか、ミクロな僕とかのひとつの思いとかが、マクロに対抗できたら、できるとするなら、それはミクロへの励ましだと思う。それが怨念のように自縛して、形骸しようが永遠の時を乗り越えていくとするなら、巡り巡って宇宙と時間を超えて居着いたそれが、手紙ひとつで消えるなんて、なんてなんてなんてロマンチックな。巨大でひそやかなロマンチック。ミクロとかマクロとかを全部ひっくるめて、「一点に集約して消える」。

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映画でモンタージュ効果が生まれたのが1920年とかで、2001年…じゃなかった、1968年に骨投げたら数千年飛ばす偉業をやってのけた人がいて、「映像は簡単に時間を飛ばせるのです」なんて、昔、先生が我が手柄のように話してた。

この映画でも1カットでの圧巻な時間飛ばしがあるけど、さらに加えて、時間の流れの速さも表現してるように思う。

前半、とろけるような長回しのカットが続いて、その時間は美しくも、退屈ともとれる。いや、退屈だった。眠かった。知らん人が知らん物語の上で抱き合ってキスしてるだけとか。思い入れのない退屈。ゴーストからすると、愛する人との大切な時間であって、愛する人との残酷な別れの時間。この退屈さは、ミクロの時間の流れかなと思う。

後半、物語の様相が変わってからは、もはや残酷で刺激的な速さでカットは変わる。巨大なシャベルが家をぶち抜いてからは衝撃的だった。あっという間にビルが立ち、見下ろせば近未来、そしてプリミティヴな家族の画に。幼子が白骨化していくカットバックは見事としか言えない。とにかく、すごい速さで進んでいく。この速さは、マクロの時間の流れかなと思う。

こういうの相対性理論っていうの?違うっけ?背伸びはいかんな。

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角を丸く落としたスタンダードのアス比がいい感じ。ゴーストが出てくる、おとぎ話みたいなこの映画の空気を、すごく応援してると思った。スタンダードにはこんな効果もあるのか。目を引いたシンメトリーな構図ともすごく相性が良い。

画面の暗さとコントラストがすごく気持ちが良い。暗めに作っているものの、コントラストは低めなので、不気味で怪しく、ふわりと優しく、青く暗い。ゴーストが鍵盤を叩くところの恐怖も、Mがパイを食べる哀しさも、ゴーストの佇まいにも、マッチしてて素敵。

音楽が、口数の少ないこの映画の大事なパートナーだった。大仰なオーケストラが「劇的である!」と教えてくれたり。一大抒情詩のような趣もくれたり。そしてなにより、『I Get Overwhelmed』という曲が素晴らしい。(英語はわかんないけど、)歌詞が素敵だった。Cの前で聴いている回想と、Mが一人で聴いている現実のカットバックも、すごくよかったなあ。

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このゴーストのデザインと構造で戦おうとしたり、こんな異常な風呂敷の脚本を作ったり、4分とかの長回しをしたり、監督は大胆な人のような気もするけど、反面で、「僕はなんなんだ、なんのために生きて、なんでこんな」なんて頭を抱えて弱々しそうで、すごく好ましいと思った。

良い映画だったし、規格外の映画だったし、寄り添ってくれる映画だった。大好きだ。
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