あおは

羅生門のあおはのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

白黒の乾いた映像に日本らしい音楽で始まる。
半壊して雨に打たれる羅生門が映し出されたときの興奮は何とも言い表せない。やはり自分は白黒映画も好きなのだと思う。色に頼らずに寂れた世界観を映し出している表現の仕方が好き。

今作は、山中を歩いている夫婦の夫が殺害され、妻と犯人の証言、巫女をとおして話す夫の証言がまったく異なるというお話だった。
なぜそのようなことが起こっていたのかと言えば、羅生門での男の台詞が印象的だった。

「一体正しい人間なんているのか。みんな自分でそう思ってるだけじゃねえのか。人間ていうやつは自分に都合の悪いことを忘れちまう。都合のいい嘘を本当だと思ってんだよ。そのほうが楽だからな」

事件の内容が直接的に映されるパートと、それを羅生門の下で客観的に振り返る人間たちのパートがあったから、伝えたいことがとても分かりやすかった。

多襄丸は、自分が夫より低い立場になるのを恐れ女を捨てて逃げようとした恥を隠すために、また自分がそのような弱い人間であると思われたくなくて戦ったということを隠すために、旦那と戦って自分が華麗に勝利したという嘘をついた。

女は、人間としての女としての立場がなくなりそうになり、男たちの自尊心を煽るようなことを言って2人を戦わせてしまったことを隠すために嘘をついた。

旦那は、多襄丸に妻をとられたのが悔しくて自分を守るために妻を捨てると言い放つが、女に煽られて、弱い人間だと弱い男だと思われたくなくて戦い、敗れ死んだことを隠すために、自分の名誉を守るために嘘をついた。

人間は自分を守りたいから嘘をつき、それが弱さで、それ故に人を信じられなくなる。
人間は弱い人間になりたくないのではなく、自分や人に弱い人間だと思われたくないのではないかと思った。

最後の戦闘シーンではBGMがなくなり、2人の荒い息とドタバタと絡まる足の音を強調していて、2人の恐怖や焦りみたいなものがひしひしと伝わってきておもしろかった。

綺麗な装飾を纏っていた女も、葉や泥に塗れて、服を滅茶苦茶にしながら逃げて、綺麗に見えるものでも一度剥がれてしまえば汚いのが人間だと、女を見ていて思った。

人間の欲と自分という価値、自尊心について描いた映画だと思った。

黒澤映画、すごくおもしろかった!
あおは

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