ささい

羅生門のささいのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

女の狂気的な演技力が恐ろしかったな。
そしてこの時代のジェンダー観も面白い。しかし、根源的な死への恐怖や、また、自分の中にある、そのジェンダー観が何者かに損なわれようとした時の、あの男達の恐れよう、また、強気な態度を取りながら、恐れ続ける当時の女観も面白い。

私達もまた、その疑心暗鬼に飲み込まれている。

現代においてもまた、人と人との信頼が当然のものとして社会が構成されている。そしてその信頼が無ければ社会は成り立たない。この世は地獄になってしまう。
信頼とは、1体1から始まり多数に広がっていくものか、いや違う、最も初めにおける信頼とは、自分と自分の信頼である。自分を他人化して、三人称の視点から自分を信頼する。その信頼が無ければ例えお坊さんであろうとも自分を信頼してくれる事は無いだろう。
人は皆、自分の都合が良くなるように、見たくないところを隠すために、嘘をつくものである。しかし、嘘をついている間は、嘘を嘘ときちんと認めるまでは、自分を信頼するまでは、他人もまた自分に嘘をついているのでは無いかという不安が襲いかかる。この不安は伝染する。画面を超えて、映画を見ていた私達にも伝染してしまうのだ。
それを克服するまでは、この世は疑いに包まれた地獄のままである。
ささい

ささい