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オン・ザ・ミルキー・ロードのnucleotideのレビュー・感想・評価

4.5
クストリッツァ作品の微に入り細を穿とうと挑むたびに、其処此処に匂い立つガルシア=マルケス作品との関連性に思い至る。単にクストリッツァが影響を受けたものとして片付けたくないのは、両者が自国の内乱の歴史へアンチテーゼを投げ掛けたジャーナリズム的批判を基盤とした作家であり、それ故に彼らの精神が接近した産物として共通性を扱った方が面白いと考えたからである。

「百年の孤独」に代表されるラテンアメリカ文学マジックリアリズムの特徴は、例えば、決闘で殺した相手が喉をひと突きにされた傷をそのままに家の中をウロついたり、チョコレートの力で空中浮遊をしたり、家畜が窒息するほどの黄色い花が降って町を埋め尽くしたりと、実際には起こり得ないことが事実として淡々と列挙されるところにある。「オン・ザ・ミルキーロード」で描かれる、敵の目を欺く黄色い蝶や木の上での空中浮遊は超然的ではあるが、しかしいずれも心象描写の域を出ていないという点でマジックリアリズムのうちにカテゴライズすることは難しい。評者が積極的に類似性を認めるのは、こうした映像的不可思議さではなく、雑多で断片的なエピソードを大きなアマルガムとする作話術と、両者の作品に頻出する結婚の儀式に於いてである。結婚とは換言すれば承認の儀式である。この2人の作家が繰り返し扱う婚礼とは、内乱による分裂と祖国存亡の危機、微視的に見ればアイデンティティ喪失といった不安が、反転したひとつの形態を伴って表出したものと考えることができる。そう捉えることによって、彼らの全ての作品に底流する危機意識に迫れるのではないかと考えた。

クストリッツァ監督がインタビューで答えている通り、この映画はエデンの園を追われたアダムとイブの逃避行の物語である。ミルクをじゃばじゃば溢しながら走るモニカ・ベルッチの姿はミルキーウェイ(ヘラの母乳)の変奏であることからも神話性を強調していることが伺える。そしてさらにインタビューで言及されていたのは、クストリッツァが2つの町を作ったということであった。ここに彼の“喪失”と“再生”の足跡を辿ることが出来る。イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーの「神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」を敷衍すると、クストリッツァが新たに歴史を紡いでいくために必要としたのが神話「オン・ザ・ミルキーロード」だったと言う事もできそうだ。

ブエンディア一族がマコンドと共に、人々の記憶からも消し去られたのは彼らが神話を持たぬ為であったのだろうか。クストリッツァはそうならないことを祈るばかりである。
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