Takaomi

DESTINY 鎌倉ものがたりのTakaomiのレビュー・感想・評価

DESTINY 鎌倉ものがたり(2017年製作の映画)
5.0
今までの概念をおもいっきりくつがえしてくれました。
個人的には良い意味で「未完成な映画」だと思う。

なぜなら観る人にすべて委ねるというスタイルだから。
重要であるメインの部分をあえて描こうとはせず、視聴者に想像させ考えさせすべてを任せる放任主義な作り方。
分かりやすく言えば主語が抜けている会話のような感じ。
だからこそ見る人の人生経験によって、見え方、感じ方がまるで違う。

そして、この映画が伝えたい重要な部分は「私達の人生も未完成な物語である」ということ

だから、二人の夫婦の生活の描き方が薄っぺらいというのか中途半端。
人生ってそんなものなのかもしれない。
今日は、素晴らしく何もかもうまく行ったと喜ぶ日もあれば、どん底まで気持ちが沈みもうこのまま這い上がることができないと絶望する日もある。

この映画の主人公である一色正和も、妻の亜紀子を優しく心から愛する日もあれば、締め切りに追われ絶望し、時に妻に怒りをぶつけることも。

そうしているうちに、妻との生活が当たり前になってゆく。
そのとたん、大切な人が未完成のまま人生の終わりを迎える。

その時に気付くのだ。
なぜもっと愛してやらなかったのだろう。
そばにいてやれなかったのだろうと。
「おかえり」と「おやすみ」と言ってやれなかったのだろうと。
その時にはじめて後悔の本当の意味を理解するのだ。

そうなっては取り返しがつかないと、この映画は黄泉の国という
死後の世界を表現したかったのかもしれない。

本来ならば、ここで この夫婦の未完成な人生は終わりなのだ。
伝えればよかったという気持ちも、愛すればよかったという気持ちも
全ての気持ちは後悔の泡となり、消えてゆく。

だから毎日、毎日に訪れる小さな幸せを掴み取ってほしいというメッセージを伝えたかったんだと気付くことができた。

もう一つ分かったのは、人はどれだけ年月を重ねても完成することはなく、未完成のまま人生の終わりを迎えるということ。

だから第二の人生のスタートは、黄泉の国から始まる。
だから、死ぬということを恐れず、どんと構えていればいいと。
あっちで待ってるからと気楽な気持ちで。

矛盾しているような、していないような映画でした。
そしてマサカズとアキコと、時々ヨウカイ(東京タワー風)
のような塩梅がちょうどよくって、まるで現実世界でも妖怪が出てくるんじゃないかと今でもワクワクしています。。。。。。。。

最後のエンドロールでは、素晴らしく運命的な発見も。。
Takaomi

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