Habby中野

バトル・オブ・ザ・セクシーズのHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ツン、と上がった鼻に、主張は少ないがどうにも"メガネ然"としている丸メガネ。
ザックリとした黒髪、すっぴん、堂々とした歩き方。まずエマ・ストーンの演技に惚れる。ビリー・ジーンに惚れる。立ち居振る舞いに掬われる。
そしてオープニングの期待感とは裏腹に、物語は迷いなくテニスを捨て、ビリー・ジーンたちの立ち上がりが描かれる。強い意志。そしてマリリンとの出会いやダンス・クラブでの魅惑的な描写、多幸感のある音楽。後半ようやく現れるゲームシーンは当時のテレビのような演出、黄色くポップな画面がなぜか爽やかで嬉しい。
そしてやはり白眉はビリー・ジーンとボビーの戦い。ウーマン・リブvs男性至上主義(のブタ)と揶揄されるがおもしろいのはこれが思いっきりスポーツだということ。ビリージーンは女性の権利を訴えるために必死で"練習する"。はじめがんばっていたボビーは怠惰だがしかし"ショウ"として非常にこれを楽しむ。彼は決して悪魔として、罪としては描かれない。
そしてゲーム、驚くほどリアルな展開。ビリー・ジーンの勝利は解っていても、中々うまくはいかない。かといって作られた大逆転劇ではない。必死に、リアルに、ビリージーンが勝つ。怠け、薬に頼り、"普通に負けて"何もかもを落とした"男性至上主義者のブタ"は彼女の検討を讃える。この映画の手触りのリアルさ。
これは、確かに、事実あった女性vs男性至上主義の戦いだ。でも、そこにあるのは暴力でも、政治戦でも、戦争でもない、紛れも無い"スポーツ"だった。確かに非常に重要な戦いであり、重要な勝利である。でも、何だかこの映画のある一瞬、すべてを忘れてこれを事実スポーツの楽しみだと感じた。
作りこまれた70年代のテレビ画面を通して伝わってくるのは、戦うことの素晴らしさ、ではなく、その一瞬の、魂のぶつかり合いの尊さのようなもの。声を上げる。立ち上がる。しかしその先にあるべきものはたぶん戦争ではない。対話であり、あるいは、スポーツなのだ。
もし裁判で勝っていたのなら、ビリージーンのあの涙は出なかっただろう。そして歴史的事実として語られたエピローグを終えて今現在を考えるとき、あの黄色く華やかな懐かしい画面を、忘れたくないと思う。
Habby中野

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