シリアルキラーの内面に対する一つの解釈を描き切った作品だった。
主人公ジャックはふとした拍子に殺人を犯してしまい、それからシリアルキラーへの道を辿っていく。
しかし、最初の殺人はただの引き金にしかすぎない。遅かれ早かれジャックは殺人の道へ足を踏み入れていたはずだ。それはいたる場面でジャックが子供の頃の、常人とは異なるこだわりが描かれることから明らかであった。三つ子の魂百までで、本質を変えることはできない。
しかし、成長するにつれて本質に上乗せされるものもある。元々小さな芽はあったにしても、FAME(名声)を求める心は肥大化していく。それは人間性の表出であり、ジャックのパーソナルな部分は複雑性を増していく。
その一方で、僕自身はジャックの魅力がどんどん無くなっていくように感じた。今までの純真な殺人に、人間的な醜いエゴイズムが入ってくるように思ったためである。
そうして出来上がる「ジャックの作る家」も、あまり美しいものには感じなかった。美しさとは見た目の話ではなく、ジャックの心の内の話である。
「強迫神経症の殺人鬼なんてお笑い種」と言われていた時期が懐かしい。純真な残虐性と全く斜め上のこだわりの奇妙な組み合わせにふつふつと笑いさえ起こったのだから。